『蒙求』寄らば大樹の陰

徳川将軍のことを「大樹」と呼んだりする。 その謂われは、後漢の馮異(ふうい)という人の故事からである。 彼は、書を読むことを好み、特に『春秋左氏伝』と『孫子』に通じていた。» 続きを読む

『蒙求』義を見てなさざるは勇無きなり

私の仕事の中心は、人前で喋ることである。数人の場合もあれば、多いときは数百人が対象になる場合もある。始めて人前で話をした頃には、膝ががくがくと震えて止まらなかったことを、今でも覚えている。緊張しなければ、あがらなければ、もっとうまく出来るのにと、よく思ったものである。 しかし、ある時、師匠ともいうべき人に、こう言われた。人前で緊張しないような人間は駄目だ。 緊張するのが当たり前であって、緊張しないということは、そもそも感受性が鈍いのだ。» 続きを読む

『蒙求』勉学の秋

秋の夜長は、本に読むのに適し、勉強するのに適している。 古来、学問に励んだ人の逸話は多い。 最も有名なものは、孫康(そんこう)と車胤(しゃいん)であろう。» 続きを読む

『蒙求』子牛を留めた話

西郷隆盛は、征韓の論争に敗れて鹿児島へ帰る際、家屋敷を買った時と同じ値段で売ったという。 不動産屋が、「今では随分値上がりしています」といっても、商人ではないから儲けるつもりはないと断ったらしい。 時苗(じびょう)という人も、似たような人である。» 続きを読む

『蒙求』偽善もまた善である

後漢の張湛(ちょうたん)という人は、謹厳で礼を好み、動きの一つ一つにも決まりがあった。 一人静かにしている時でも、きちんとしており、妻子に対しても威厳をもって接していた。 また、地域の誰に対しても、礼儀正しく接して言動にも配慮していたので、張湛の出身地である三輔地方では、彼を手本と考えていた。» 続きを読む

『蒙求』瓢箪は鳴るか鳴らぬか秋の風(漱石) 

東洋の、貧しさをかっこいいとする思想は素敵である。 徒然草の第十八段に、次のような文がある。 唐土に許由といひける人は、更に、身に随へる貯へも無くて、水をも手してささげて飲みけるを見て、なりひさごといふ物を、人の得させたりければ、或時、木の枝に懸けたりければ、風に吹かれて鳴りけるを、喧(かし)ましとて捨てつ。又、手に掬(むす)びてぞ水も飲みける。いかばかり心のうち涼しかりけむ。» 続きを読む