『蒙求』寄らば大樹の陰

徳川将軍のことを「大樹」と呼んだりする。

その謂われは、後漢の馮異(ふうい)という人の故事からである。

彼は、書を読むことを好み、特に『春秋左氏伝』と『孫子』に通じていた。

その人柄は穏やかで自慢することなく、他の将軍に出会うと、自ら車を引いて道を譲った。

軍が野営する時、将軍たちは集まって手柄話に花を咲かせた。

しかし、彼はいつも樹の下に一人でいた。

そこで、いつしか彼のことを大樹将軍と呼ぶようになった。

その人柄を慕い、兵士たちは皆が大樹将軍の元に配属されることを願ったという。

「寄らば大樹の陰」とは、このようなことを言うのであろう。

部下たちが求めるのは、強いリーダーよりも優れた人柄のリーダーだと、いうことである。

出典 (明治書院)新釈漢文大系59『蒙求 下』660頁

馮異大樹

後漢馮異字公孫、潁川父城人。好讀書通左氏春秋・孫子兵法。

(中略)

爲人謙退不伐。行與諸將相逢、輒引車避道。進止皆有表識。軍中號爲整齊。

毎所止舎、諸將並坐論功。異常獨屏樹下。軍中號曰大樹将軍。

及破邯鄲、乃更部分諸將、各有配隸。軍士皆言、願屬大樹将軍。

後漢の馮異(ふうい)、字(あざな)は公孫、潁川(えいせん)父城(ふじやう)の人なり。讀書を好み、左氏春秋・孫子の兵法に通ず。

(中略)

人となり謙退にして伐(ほこ)らず。行きて諸將と相逢へば、輒(すなは)ち車を引いて道を避く。進止(しんし)皆(みな)表識(へうしき)有り。軍中、號(がう)して整齊(せいせい)と爲す。

止舎(ししや)する所毎に、諸將並び坐して功を論ず。異、常に獨り樹下に屏(さ)く。軍中、號して大樹将軍と曰ふ。 邯鄲を破るに及び、乃ち更に諸將を部分し、各(おのおの)配隸(はいれい)有り。軍士、皆言ふ、願はくは大樹将軍に屬(ぞく)せん、と。