乗馬雑説「論語に出てくる馬」

忙しい日々が続いており、なかなか馬に乗る余裕がない。

明日からは4日間福井に行かなければならず、そうなると10日以上乗馬しないということになる。

今回の記事のタイトルである「論語に出てくる馬」というのは、あまりないテーマだと思う。

単なる好奇心から、『論語』の中に馬の話がどれだけ出てくるだろうかと、ふと思って調べてみたのである。

今や、『論語』といっても知らない人も多いかもしれないが、『論語』とは何かを言い出すときりがないので、説明はしない。

『論語』は、全部で四百九十九章句ある。

調べてみると、「馬」の字が出てくる章句は十三章句あった。

この中で、「馬」の字が使われているといっても、人の名前に含まれている章句が四つある。

司馬牛(しばぎゅう)が三つ、巫馬期(ふばき)が一つである。司馬牛も巫馬期も、孔子の弟子の名前である。

残り九章句の内、財産として意味で「馬」の字が用いられている章句が五つあった。

例えば、「陳文子 馬十乗有り、棄てて之をさる」といったものである。

「天皇のことを、一天万乗の君という言い方をすることがあるが、この「乗」というのは何かといえば、馬が四頭ということである。

古代中国では、騎馬ではなく兵車で戦いをした。

一乘には、四頭立ての戦車一つ、それに乘る甲士三人、歩卒七十二人、荷車一台、牛が十二頭、人夫二十五人、というから、相当に富裕でなければ、まかなえるものではない。

先ほどの「陳文子 馬十乗有り、棄てて之をさる」というのは、かなりの財産を棄てていったということになる。

「馬」の字が使われている章句は、残り四つであるが、その内の一つは、「犬馬」という形であり、畜生という意味で使われており、特に「馬」に焦点が当たっている訳ではない。

結局、『論語』の中で、「馬」を「馬」として扱っている章句は三つということになる。

まず一つ目は、有名である。

「厩焚けたり。子 朝(ちょう)より退きて曰く、人を傷(そこな)へるか、と。馬を問はず」

落語の「廐火事」のもととなった章句である。

厩が火事になった時に、大事な財産である馬のことよりも、人のことを気にかけたということで、孔子の人間愛を語った章句である。

二つ目は、

「孟子反(まうしはん)伐(ほこ)らず。奔(はし)りて殿(でん)す。將に門に入らんとするや、其の馬に策(むちう)ちて曰く、敢て後るるに非ざるなり。馬進まざればなりと」

というもので、孟子反という人の謙虚さを称えた章句である。

つまり、孟子反は、戦いの中で、あえて殿(しんがり)という難しい仕事をこなしたにもかかわらず、前に行こうと思ったが、馬が進んでくれなかったので、一番最後になったと語ったという話である。

最期は、

「馬有る者は、人に借して之に乘らしむ。今は亡きかな」というものである。

どういう意味かといえば、

馬があっても、自分で調教出来ない者は、その才能ある者の力を借りて、馬を訓練する。しかし、今はそういった真面目さがなくなった、ということらしい。

ただ、古来より、本当の意味はよく分からないとされている。さらに、強いて解釈するなとも言われている章句である。困ったものである。

以上、面白く感じる人がいれば幸いである。