『蒙求』子牛を留めた話

西郷隆盛は、征韓の論争に敗れて鹿児島へ帰る際、家屋敷を買った時と同じ値段で売ったという。

不動産屋が、「今では随分値上がりしています」といっても、商人ではないから儲けるつもりはないと断ったらしい。

時苗(じびょう)という人も、似たような人である。

時代は、後漢最後の皇帝である献帝の時代、つまりは三国志の時代の話である。

若い時から清廉潔白で、悪を憎んでいたという。

この人が、寿春という地の令、つまりは県知事になった。

民は政令に従い、その徳は行き渡った。

時苗は、始めて赴任した時には、粗末な車と黄色の牝牛、布の夜具を持参しただけだった。

一年余りして、牝牛が子供を産んだ。

職を離れ寿春から去る時には、この子牛を連れて行こうとはしなかった。

言うには、

「この地に来たとき、この子牛はいなかった。これは寿春の地が生んだものであり、ここに留めるのが当然であろう」、と。

出典 (明治書院)新釈漢文大系58 『蒙求 上』早川光三郎著 256頁

時苗留犢 魏略、時苗字德冑、鉅鹿人。少淸白、爲人疾惡。建安中爲壽春令。令行風靡。其始之官、乘薄畚車、黄牸牛布被囊。歳餘牛生一犢。及去留其犢、謂主簿曰、令來時本無此犢。犢是淮南所生。時人皆以爲激。然由是聞天下。後遷中郎將。