『世説新語』人の評判

衆院選挙と同日に行なわれた選挙で、ある人が、首都圏のある市の市長となった。

私は、この人と話をしたのは二度しかなく、特にどうという感想は持っていない。

ただ、この人と一緒に仕事をしたという人は、かなり知っている。

そして、この人のことを良く言う人は、あまりいない。

つい先日も、知人の一人が「何よりも市民が可哀想だ」と、真剣な顔で嘆いていた。

しかし、この市長は、世間的な人気は高い有名人である。

女性であるということも、一つの要素であろう。

戦国時代、鄭の国では玉のまだ磨いていないものを「璞(はく、あらたま)」と言い、周の国では鼠のまだ乾し肉になっていないものを「朴(はく)」と言った、という話がある。

(鼠を食べていたということなのだろうか)

璞(はく)と朴(はく)ということで、発音は一緒になる。

ある時、周の人が朴を買うかと聞くと、鄭の人は欲しいと言った。

ところが、見ると鼠であり、鄭の人は、断ったという。

何ということもない話である。

つまり、実質を見れば分かることでも、名前だけで勘違いしていることが多いという話である。

時代は、600年ほど下った東晋の時代には、このような話がある。

簡文帝が、孫綽(そんしゃく)という人に訊ねた。

「袁喬とはどんな人物か」、と。

孫綽の答えは、

「知らざる者は、其の才に負(そむ)かず、之を知る者は其の體(たい)に取る無し」

つまり、「知らない人から見ると、才能があるようだが、知っている人からすれば、中身が無い」、と言うことで、なかなか辛辣である。

考えてみれば、評判というものは、その人を実際に知っているかどうかは、別問題である。

経歴や知名度(要はマスコミが取り上げたかどうか)、そして見た目で決まるのだろう。

改めて、この新しい市長は、どうなのだろう。

世間の評判が間違っているのだろうか、それとも、周りの評価に問題があるのだろうか。

「従卒の前に英雄なし」と言われるように、身近だからこそ、その人の素晴らしさが理解できないということは、間々あることである。

本当のところ、何が正しいかは私には分からない。 ただ、市長になったことは事実であるから、紹介した二つの逸話のようにならないことを、祈るだけである。 66 \lsdlocked0

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA