笑顔

人には、三つの欲求があるという。

一つは、自尊の欲求である。

これは、馬鹿にされたくないということである。

寿司屋のカウンターで、「そのヒラメを握って」と言ったら、「お客さんこりゃ鯛ですよ、鯛」と言われてしまった。再びこの店に行ったことはない。

どんな人間でも、たとえ子供であっても誇りを持っている。他人の前で馬鹿だとは見られたくない。どちらが正しいかという問題ではない。

二番目は、公平の欲求である。

駅のトイレやコンビニにレジで、自分よりも後から来た人間が先になる場合、何とも不愉快になる。公平でないと感じるからである。

最後が、安全・安心の欲求である。

初めての人に会う場合や、初めての場所に行く時、人は不安感や警戒心をもつ。

しかし、人は不安な状況に陥るのを好まない。

そこで、お互いにこの不安な心理を解消しようとするのが、エチケットやマナーの存在意義であろう。

そして、不安感を解消しようとすることが、一番の目的であるとしたなら、最高のエチケット・マナーは笑顔である、ということになる。

この笑顔については、各分野で様々な研究が行われており、単にエチケット・マナーだけではなく、精神的にも肉体的も、良い影響を人にもたらすとされている。

今回は、これら研究の話ではなく、私の好きな話を紹介したい。

『泥かぶら』という演劇がある。

これは昭和27年に第一回上演があり、それから現在まで公演回数15000回を超えるという凄い記録を持っている。

どういう話かといえば・・・・。

ある村に、泥かぶらという、孤児で顔の醜い少女がいた。

醜いがために、周りから馬鹿にされ嘲笑され、他の子供たちからは石を投げられ唾を吐きかけられていた。

周りからの侮辱を悔しがり怒る泥かぶらの心は荒みに荒み、その顔はますます醜くなっていった。

ある日、泥かぶらは旅の老僧侶に出会う。

「美しくなりたい」と泣き叫ぶ泥かぶらに、僧侶は三つのことを教え、この三つを守れば村一番の美人になると約束する。

その三つとは、

・いつもにっこり笑うこと

・自分の顔を恥じないこと

・人の身になって思うこと

であった。

挫折しそうになることもあったが、泥かぶらは美しくなりたいという一心で、努力を重ねる。

そして、いつしか、泥かぶらの心は穏やかになり、明るく素直な少女へと変貌し、村の人気者となっていった。

ある日、村の娘が人買いに売られることを知った泥かぶらは、自分は孤児だからと身代わりになることを決意する。

人買いに連れられて村を去った泥かぶらは、道すがら、人買いに対して、村での楽しい毎日や自分が可愛がった子守をした赤ん坊たちの話をする。

この、泥かぶらの心根の優しさは、悪逆であった人買いの心を動かした。

人買いは、今までの罪を悔いて、置手紙を残して立ち去っていった。その手紙には、

「ありがとう。ほとけのように美しい子よ」 と書かれてあった。