『列子』成功法則

出版不況で、相変わらず本は売れていないという。

売れていない中で、まずまず頑張っているのが、ビジネス書だという。

ビジネス書の中でも、人気のあるのが、いわゆる成功法則を語ったものである。

「○○すれば、うまくいく」といった類である。

読めば、それなりに得ることはあるかもしれないが、私は読む気がしない。

世に成功法則などといったものがあるとは、思っていないからである。

私が、今の仕事に就いて、最初に教わったことがある。

それは、「ある何かをすればうまく行くといったものは無い」ということが、近代マネジメントの結論だ、ということである。

確かに、どこかの組織で成功したノウハウを他へ持っていっても、まずと言っていい位、成功しないのが現実である。

これは、人の生き方も同じであろう。

こうすれば人生で成功する、豊かになれる、幸福になれる、などといったものが、ある筈がない。

魯の国に施(せ)という一族がいて、そこに二人の子供がいた。

一人の子は学問を好んで、もう一人の子は兵法を好んだという。

そして、学問が好きな子は斉という大国へ行き、公子たちの先生となった。

兵法が好きな子は、楚という大国へ行き、将軍となった。

二人とも成功し、一族は富み栄えた。

この施という一族の隣に、孟(もう)という一族がいた。

やはり、二人の子がいて、一人は学問を、一人は兵法を好んだ。

施の子供たちの成功を見て、孟の学問を好んだ子は、秦という僻遠の国へ赴いた。

すると、秦王は、怒って、この子を宮刑(去勢すること)に処した。

理由は、この弱肉強食の時代に学問が大事などというのは、かえって国を滅ぼす道だ、ということである。

孟の兵法を好んだ方の子は、衛という小国に赴いた。

衛の国王は、これを刖刑(脚を切ること)にした。

理由は、衛という小国で軍事力を高めようなどということは、大国の不審を招き、かえって国を滅ぼす道だ、ということである。

この逸話が如実に物語っているように、時と所を変えれば、成功法則が失敗法則となるのである。

にもかかわらず、もっともらしく成功法則を語られると、感じるのは、いかがわしさだけである。

成功法則本が売れる土壌は、オウム真理教を持て囃したと同じ土壌ではないだろうか。 始皇帝が焚書坑儒にいたった気持ちも、理解できないではない。