乗馬雑説-「文質彬彬」

ウエスタン乗馬をやっている人間が、ブリティッシュの指導を受けると、正直、「細かいなぁ」と感じる。

手の位置、脚の位置、姿勢等々、数多くの指摘を受ける。

どうも、馬が動いていればそれで良いじゃないか、とはいかないようである。

今の人たちは、もう『論語』を読むこともないだろうが、『論語』という書物の名前は聞いたことがあると思う。

おおよそ、二千五百年前の中国の、孔子とその弟子達の言行録である。

その論語に、以下のような言葉がある。

質、文に勝てば則ち野なり。

文、質に勝てば則ち史なり。

文質彬彬として、然る後に君子なり(『論語』雍也第六)

「質」とは本質のことであり、「文」とは飾るということで、形式や見た目のことである。

上述の言葉の意味は、

本質・中身こそが大事と考え、見た目や形式を軽んじると、粗野になる。

その反対に、見た目や形式ばかり重視すると、形式主義になってしまう。

本質と形式の両方を調和させることこそが、最も大切である。

ということである。

ウエスタンは、本質・中身を重視する傾向が強いようである。

馬がきちんと動くことこそが大事で、姿勢や脚の位置などは、二の次、三の次といった感じであろう。

こういったウエスタンの乗馬を、ブリティッシュの人たちが見れば、『論語』にあるように、粗野に感じるのは当然だろう。

かたや、ブリティッシュは、まずは姿勢や脚の位置等を重視する。

そして、こうしたブリティッシュの乗馬を、ウエスタンの人たちが見れば、形式ばかり重んじて、恰好は良いかもしれないが、馬に乗る本質を忘れているんじゃないかと感じるのだろう。

結局、大事なことは、『論語』にあるように、調和であり中庸ということだろう。

どのような物事も、本質も重要だが形式も重要であり、そのバランスが大切である。

ただ、バランスというものは、すぐに保てるものではない。

本質が行き過ぎたら形式を考え、形式が行き過ぎたら本質を考えという風に、動きの中で保っていくものだろう。

ブリティッシュとウエスタン、どちらが好きかと言えば、圧倒的にウエスタンが、僕は好きである。

もし、乗馬をブリティッシュで初めていたら、途中で嫌になって止めていたかもしれない・・・。

乗馬を始めて9ヶ月とはいえ、ここまで熱心に続けてこられたのは、ウエスタン乗馬に出会えたこと、特に今のエルドラドランチに出会えたお陰である。

ただ、『論語』の教えを守ろうという観点に立てば、ブリティッシュを少し齧るのは悪いことではないと考えている。