とりあえずやらせてみよう

管理者の第一の試金石は、いかに間断なく部下を働かせるかにある。

ドラッカーの言葉だったと思う。

一頭のライオンに率いられた羊の群れは、一頭の羊に率いられたライオンの群れに優る。

ナポレオンの言葉と言われている。

これまでも、リーダーの存在の重要性については述べてきた。

その意味で、誰をリーダーにするかは重大事である。

子産(春秋時代の鄭の執政)は、春秋左氏伝(岩波文庫)を読むと主要人物の一人であり、多くの逸話が載せられている。

ただ、宮城谷正光氏の小説「子産」が出て始めて、その名が人口に膾炙したように思う。

その子産の逸話に、このようなものがある。

子産の上司である子皮が、ある人物を自分の領地の長官しようとしたことがあった。

子産が、その人物は能力的に問題があるのではないか、と問うと、子皮は、

「自分が可愛がっている人物で、まじめだから、勉強のつもりでやらせたら、段々と出来るようになるだろう」

と応えたという。

これに対して、子産は、見事なレトリックで子皮を諌めた。

「もし、あなたが高価で素晴らしい錦を持っていたとして、その錦をまだ満足に裁縫が出来ない人間に任せるでしょうか?一つの領地を任せるということは、どんな高価な錦よりも大事なことです。勉強させてから仕事をさせるという話は聞いたことはありますが、仕事をしながら勉強させるということを、私は聞いたことがありません」

子皮は、大いに反省し、この人事を取りやめたという。

とりやめた子皮は偉いが、2千数百年経った今でも、同じような人事が行なわれている。

「とりあえず、やらせてみよう」とか「チャンスを与えてやろう」

といった、いかにも正しそうな判断から、能力がない人物をリーダーにすることは、かなり多いと思う。

可哀想なのは、部下である。

無能な上司は、部下を殺してしまうのである。

私は、かなり以前から考えているのだが、無能な上司であれば置かない方が返って良いのではないだろうか。 スパンオブコントロールの原則といったものもあるが、課長がいなくなったから新しい課長をとか、部長がいなくなったから新しい部長をといった考えは、ある種の固定観念に過ぎないと思う。