えこひいきとお天気や

先日、会社の人間と二人で、新宿の飲み屋に入った。

店は、半分くらいの入りで、席はかなり空いていたが、通されたのは、4人がけのテーブルで、しかも、隣はアベックであった。

他の、空いている4人がけのテーブルは駄目かと訊くと、駄目だと言う。

見ると、二人連れで、4人がけに座っている客もいたが、入った時間が早かったのだろうと納得して、それ以上のことを云うのは、やめた。

ところがである。

私たちの後に来た二人連れを、4人がけのテーブルに座らせるのである。

他に、テーブルが空いていないのであれば、仕方がない。

しかし、4人がけに二人だけのテーブルは、まだ、空いていたのである。

店員を呼んで、注意を促したことは言うまでもない。

こういった場合、私のように文句を言う人間もいれば、黙っている人間もいる。

ただ、黙っていても、心の中は、かなり憤っている筈である。

憤りの原因は、不公平に扱われたということである。

4人がけに、見ず知らずの他人と一緒に座ることは、快適ではない。

ただ、他もそうであれば、我慢できる。しかし、不公平は我慢できない。

池波正太郎が随筆等で絶賛しているトンカツ屋の「目黒とんき」は、こういった部分が素晴らしかった。

「目黒とんき」は夕方からの開店であり、開店と同じにお客が並ぶ。

このお客達を案内する時、絶対に順番通りにするのである。

例えば、一人分の席が空いたとする。

先の順番の客が二人連れで、その後が一人という場合も、その一人を座らせることはない。

その内に、また一人分、また一人分と席が空いていっても、先に待っている二人連れが並んで座れる形になるまで、誰も案内しないのである。

池波正太郎は、この店の応対は銀座のクラブよりも清々しいといったことを書いていたが、その理由は、客を公平に扱うからである。

公平に扱うということは、この場合であれば、先に来た人間が先に席に付くべきであるという暗黙のルールが、きちんと守られているということである。

新宿の飲み屋で、私が腹を立てたのは、4人がけのテーブルには二人連れを座らせないという店のルールを、店自身が破ったことによる不公平である。

組織のリーダーという立場の人間であれば、部下達に気持ちよく楽しく働いてもらいたいと考えているのが、普通である。

何故なら、その方が生産性の向上が図れるからである。

ただ、そうはいっても、仕事の内容は様々であり、人と人の相性もあり、誰もが、そして何時でも、楽しく活き活きと働けるものではない。

また、リーダーとしての自分が出す指示全てが、部下の意向に合うというものでもない。嫌でも、やってもらわなければならないこともある。

顧客満足度調査などで、「満足していない」ということと「不満足である」には、大きな隔たりがあると云われている。

部下も同じである。

仕事や職場環境に満足していないという状態はある面、仕方ない部分もあるが、不満足とまで思わせるのは、大きな問題である。

それでは、どういった場合に部下は不満足感を抱くかといえば、不公平な取扱をされた時である。

そして、不公平は何から生じるかといえば、ルールを守らないということからである。

昔から、嫌われる上司の典型は、「えこ贔屓とお天気屋」だといわれている。

えこ贔屓は、相手によってルールを変えることである。

同じことをしても、ある人は許され、違う人は許されないという場合、部下は、嫌悪感に近い反感を、上司に対して持つ。

お天気屋は、日によって、また、虫の居所によってルールを捻じ曲げることである。

同じことをしても、ある時は許し、ある時は許さない。

こういった上司は、部下からは諦めと軽蔑の対象でしかない。

これは、ルールの中身の問題ではない。 ルールを適用する範疇の話であり、リーダーは、その人格や人間的魅力以上に、ルールの番人であることが必須の条件ではないだろうか。