『晏子春秋』稔るほど頭を垂れる稲穂かな

人は出世などして偉くなると、どうも、偉そうに振る舞いたくなるものである。

これは、まぁ、人情というものであろう。

僕などは偉くなくても偉そうに振る舞ってしまうから、どうしようもない。

つまりは、ただの馬鹿である。

救われるのは、ただの馬鹿は、世の中に大きな害はもたらさない、ということである。

しかし、偉い人が偉そうにすると、大きな害となる。

「私は偉いんだ。お前らとは違うんだ」というオーラを出されると、部下たちは何も言えなくなってしまう。

部下が瘖(音読み「いん」、英語「dumb」、訓読みは何故か差別用語)になるということである。

部下が瘖になれば、上司は何も聞くことができない。

これは、上司が聾(音読み「ろう」、英語「deaf」、訓読みは何故か差別用語)になるということである。

組織の構成員が聾瘖(deaf and dumb)では、物事がうまく行く筈がない。

オリンパスは、きっとこういった状態だったのだろう。

昔から言われているように、「稔るほど頭を垂れる稲穂かな」は、大事だということである。

ところで、オリンパスと同じ光学機メーカーであるコニカミノルタのミノルタという名前の由来は、この「ことわざ」から来ているらしい。

余計なお節介かもしれないが、是非、その精神を活かしていって欲しいと思う。

出典 新編漢文選9『晏子春秋 上』谷中信一著187頁

内編諫下第二 景公朝居嚴下不言晏子諫 第十七

晏子朝、復于景公曰、「朝居嚴乎。」公曰、「嚴居朝、則曷害于治國家哉。」晏子對曰、「朝居嚴則下無言、下無言則上無聞矣。下無言則吾謂之瘖、上無聞則吾謂之聾。聾瘖、非害國家而如何也。 晏子朝し、景公に復(まを)して曰く、「朝居すること嚴なるか」と。公曰く、「嚴に朝に居れば、則ち曷(なん)ぞ國家を治むるに害あらんや」と。晏子對へて曰く、「朝居すること嚴なれば則ち下言ふこと無く、下言ふこと無ければ則ち上聞くこと無し。下言ふこと無ければ則ち吾之を瘖(いん)と謂ひ、上聞くこと無ければ則ち吾之を聾と謂ふ。聾瘖(ろういん)は國家を害するに非ずして如何(いかん)ぞや。