『戦国策』善と正義とは全く違ったものである

跖(せき)の狗(いぬ)、堯(ぎょう)に吠ゆるは、跖を貴んで堯を賤(いや)しむるに非(あら)ざるなり。

跖とは、盗跖(とうせき)と言い、古代中国の大悪党である。堯とは、聖人であり、古代中国における名君の代表である。

大悪党である盗跖の飼い犬が聖人である堯に吠えるのは、盗跖が善で堯が悪だからではない。堯が、自分の飼い主である跖の敵だから吠えるのである。

これが、跖の飼い犬にとっての正義である。

人に危害を加えることは悪であるが、戦争で敵を攻撃することは、味方からすれば正義である。悪であっても正義である。

そして、勿論のことであるが、敵からすれば正義ではない。

善悪の判断は立場が変わっても変わることはないが、正義の判断は立場によって変わってくるのである。

であるから、戦争は常に正義の名をもって行われる。

しかし悪である。

悲しいことではあるが、善であるからといって、世の中は上手くいくものではない。というか、上手くいかない場合の方が多いであろう。

跖の犬が、相手は聖人だからといって堯に対して吼えなければ、犬は跖によって罰せられてしまうだろう。

多くの人は、この正義と善悪を混同してしまっている。正義と善悪は全く違ったものなのである。

出典 新釈漢文大系『戦国策 上』513頁 齊巻第四

跖之狗吠堯、非貴跖而賤堯也。