『左伝』比せず党せず諂わず

公平無私な人物の話である。

春秋時代、晉の中軍の将である祁奚が辞職を申し出た。

時の晉侯であった悼公が後任を尋ねると、解狐という人物を推挙した。

ところが、この解狐は、祁奚の仇敵であった。

仇敵であっても、適任と考えたから薦めたのである。

また、仇を推挙するなどということは、下手すれば君子ぶって、かっこつけてと言われそうだが、そんなことも気にしなかった。

しかし、任命する前に、解狐が死んでしまった。

そこで、悼公が、また祁奚に誰が適任かと尋ねると、祁午が良いという。

祁午は、祁奚の息子である。

普通なら身びいきじゃないかとの批判を恐れるものだが、適任だと思うから推挙したわけである。

ちょうど同じころ、祁奚の副官である羊舌職という人も死んでしまった。

悼公が、この副官の後任を尋ねると、羊舌赤という羊舌職の息子を推薦した。

これも、場合によっては依怙贔屓と思われそうであるが、やはり、適任として申し述べたのである。

推挙された人物も優れていたのであるが、推挙した祁奚こそが、優れていたということである。

(『説苑』高木友之助著224頁にも、晉の文公重耳と子犯を主人公として似た話がある。こちらの方が物語としては面白い)

文公が大臣で自分の舅でもある子犯に、守備隊長の人選を尋ねた。

子犯は、「虞子羔(ぐしこう)が良いでしょう」と答えた。

「虞子羔は、あなたの仇ではないか」と文公が驚くと、

「お尋ねになったのは守備隊長のことで、私の仇のことではないでしょう」

と子犯は答えたので、虞子羔は守備隊長に任命された。

虞子羔は子犯の元を訪ね、任命されたことのお礼を述べた。

しかし、子犯は、

「守備隊長の任命という公のことと、お前が私の仇だという私的なことは別な話だ。早く立ち去れ、まごまごしていると弓で射殺すぞ」

と告げた、という。

こういった話を聞くと、現代中国と古代中国とは、どうも別の国のようである。

出典 (明治書院)新釈漢文大系31『春秋左氏伝 二』 鎌田正著840頁

襄公三年

祁奚請老。晉侯問嗣焉。稱解狐。其讎也。將立之而卒。又問焉。對曰、午也可。於是、羊舌職死矣。晉侯曰、孰可以代之。對曰、赤也可也。於是、使祁午爲中軍尉、羊舌赤佐之。

祁奚(きけい)、老を請(こ)ふ。晉侯、嗣を問ふ。解狐(かいこ)を稱(あ)ぐ。

其の讎(あだ)なり。

將に之を立てんとして卒す。又(また)問ふ。對へて曰く、午(ご、祁奚の子)や可なり、と。

是に於て、羊舌職(ようぜつしょく)、死す。晉侯曰く、孰(たれ)か以て之に代はる可き、と。 對へて曰く、赤(せき、羊舌職の子)や可かり、と。是に於て、祁午をして中軍の尉たらしめ、羊舌赤(ようぜつせき)、之に佐(さ)たり。