『左伝』古代のコンプライアンス

利益さえ出れば手段を選ばない、昨今の企業経営者に教えたい話である。

中国春秋時代、紀元前527年に、晋の将軍である荀呉が鮮虞を伐ち、属国である鼓の城を包囲した。

城ぐるみで降参したいという内通者が現れたが、荀呉は許さなかった。

楽して城を落とせるのに、何故、そうしないのかと部下たちが言うと、荀呉は、こう答えた。

私は、叔向から教えられたことがある。

それは、善悪の判断を間違えてはならない、ということだ。

そうすれば、下の者はどこに行くべきかを知り、何事も成就できる、と。

もし、誰かが他国に内通すれば、私はその者を悪として憎む。

にもかかわらず、どうして鼓の内通を喜ぶことができようか。

自分が悪だと考えていることを選んだならば、善はどうなるのだ。

悪を選んで善を選ばなければ、信用を失ってしまうだろう。

信用を失ってしまえば、下の者はついてこなくなるだろう。

悪の力を借りるのではなく、自らの力で城は落とすべきだ。

城を落したいという欲に惹かれて、悪に近づいてはならない。

それは、より多くのものを失ってしまう道である。

荀呉は、こう言って、鼓に内通者を教えて殺させ、守備を厳重にさせた。

古来より、名将と呼ばれる人は、敵味方関係なく、裏切りというものを嫌った。

勝ちさえすれば、手段は何でもいいとは、考えなかった。

戦いにおいても、義を重んじたのである。

今の言葉でいえば、コンプライアンスということになるかもしれない。

出典 (明治書院)新釈漢文大系33 『春秋左氏伝 四』鎌田正著 1430頁

昭公十五年

晉荀呉帥師伐鮮虞、圍鼓。鼓人或請以城叛。穆子弗許。左右曰、師徒不勤、而可以獲城。何故不爲。穆子曰、吾聞諸叔向。曰、好惡不愆、民知所適、事無不濟。或以吾城叛、吾所甚惡也。人以城來。吾獨何好焉。賞所甚惡、若所好何。若其弗賞、是失信也。何以庇民。力能則進、否則速退、量力而行。吾不可以欲城而邇姦。所喪滋多。使鼓人殺叛人而繕守備。

晉(しん)の荀呉(じゅんご、人名、中行呉もしくは中行穆子)師を帥(ひき)ゐて鮮虞(せんぐ、北方の異民族)を伐ちて、鼓(こ)を圍(かこ)む。

鼓人(こひと)、或いは城を以て叛(そむ)かんと請ふ。

穆子(ぼくし、荀呉のこと)許さず。

左右曰く、師徒、勤めずして、以て城を獲べし。何の故に爲さざる、と。

穆子曰く、吾、諸(これ)を叔向(しゅくきょう、人名、羊舌肸、晉の名臣)に聞く。曰く、好惡を愆(あやま)らずんば、民、適(おもむ)く所を知り、事、濟(な)らざること無し、と。

或は吾が城を以て叛(そむ)かば、吾所甚だ惡(にく)む所なり。人、城以て來たる。吾、獨り何ぞ好(よ)みせん。

甚だ惡む所を賞せば、好(よみ)する所を若何(いかん)せん。若し其れ賞せずんば、是れ信を失うなり。何を以て民を庇(かば)はん。

力、能くせば則ち進み、否(しか)らざれば則ち速(すみや)かに退き、力を量(はか)りて行はん。 吾、以て城を欲して姦に邇(ちか)づく可(べ)からず。喪(うしな)ふ所、滋(ますます)多からん、と。鼓人をして叛人(はんじん)を殺して守備を繕(をさ)めしむ。