『列女伝 』母は偉大なり

雖有以得勝、子非吾子也、無入吾門(母儀傳)

たとえ勝利を得たといっても、お前は私の子供ではありません。私の家には入れません。

物凄く格好良い女性、母親の話である。

「呉越同舟」(仲が悪いもの同士であっても、同じ舟に乗り合わせると協力する)

という言葉があるくらい、呉の国と越の国は敵対していた。

この戦いは、最終的に、越の句践(こうせん)が呉を亡ぼして覇者となった。

この句践に、ある人が芳醇な酒を贈った、という話がある。

句践は独り占めすることなく、江の上流から酒を流して、部下達に飲まさせたという。

もちろん、味などする訳ではないが、句践の気持ちに部下達は奮い立った。

また、ある時、句践に乾米を献上した者がいた。

句践は、同じように、部下達に分かち与えた。

一人分は、口に入れても喉に届く間に無くなってしまう程の量であったが、やはり、部下達は感動して、大いに士気は高まった、という。

句践のリーダーシップの素晴らしさを伝える逸話である。

今回の本題は、これからである。

楚の国に子発という人がいた。

将軍として、秦と戦っていたが、食料が乏しくなり、救援を求める使者を王の許へ送った。

その使者は、子発の母の許にも赴いた。

母は聞いた。

「兵士の方々は、元気にやっていらっしゃいますか」、と。

普通であれば、たとえ将軍とはいえ、自分の息子を心配するのであろうが、まず、息子の部下の安否を尋ねた訳である。

その問いに對して、使者は、

「食料が無く、豆の屑を集めて、分け合って食べています」

と答えた。

すると、母は、「将軍は、いかがですか」と尋ねた。

使者は、

「将軍はもちろん兵士とは違って、肉や穀物を食べています」

とのことであった。

その後、子発は秦を破り凱旋した。

しかし、母は門を閉じて、子発に会おうとはしなかった。

そして、人を通して、子発を責めて言った。

「おまえは、越の句践の話を知らないのですか。部下の兵士達が豆の屑を食べていたというのに、自分独りが美食をしていたとは何事ですか。

人を死地に追いやりながら、自分独りが安佚を貪る。

勝利を得たといっても、それは人の上に立つ者のすべきことではないでしょう。

そのような人間は私の子供ではありません。私の家には入れません」、と。

子発は、平身低頭して謝り、ようやく母の家に入れて貰えたという。

母の教えが身に染みた子発は、その後、楚の名将・名臣として歴史に名を残すことになった。

古代中国の母親は、偉いのである。 これに匹敵するのは、江戸期から明治にかけての日本女性くらいではないだろうか。 ]);retu