居酒屋などで、中年のサラリーマンが若い社員を相手に、こんなことを言ったりする。
「どうも俺はうまく立ち回れないタイプだから・・・」
とか、
「間違ったことは、上に対してもはっきり言ってしまう性分だから駄目なんだな」
ドラマなどでは、悪人がどんなに策略をめぐらしても、最後には善良で正直な主人公が勝ちを収める。
しかし、実際の世の中では、正直者は馬鹿をみることの方が多いようである。
だからこそ、私たちは勧善懲悪の、ハッピーエンドで終わる物語が好きなのかもしれない。
やはり、「最後に善が勝つ」ということは幻想なのであろうか?
いや、決してそんなことはないと、孟子は言う。
水が火に勝つように、善は不善に勝つのが、世の道理だと言うのである。
しかし、水が火に勝つといっても、たかだかコップ一杯の水で車に満載した薪の火を消すことは出来ない。
鉄は羽毛よりも重いが、ひとかけらの鉄と山盛りの羽毛を比べれば、それは羽毛の方が重い。
ではそれで、羽毛は鉄より重いといえるだろうか。
これは比べ方を間違っているのであって、やはり羽毛よりも鉄の方が重いのである。
少しばかりの善や仁を行っただけで、うまくいかないと嘆いている者は、羽毛の方が鉄よりも重いと勘違いしているのであり、また、こういった者こそが社会に悪を及ぼすのだ、というのが孟子の主張である。
孟子の主張に、少し私見を付け加えると、
自分のことを善人と考えている人は、結構、いるものである。
しかし、英雄は色を好むが、色を好んだからといって英雄ではないと同じように、善人は悪いことをしないが、悪いことをしないからといって善人とは限らない。
多くの人は、ただ悪事をなさないということだけで、自分を善と考えているのではないだろうか。
悪も為さず、善も為さず、要は何も行わずにいて、自分を認めてくれない社会や組織を恨んだりする。
それが、冒頭に述べた中年のサラリーマンの姿ではなかろうか。
いや、彼だけではなく僕もまた、そうであろう。
理想は理想、現実とは違うとはいうが、本当に理想を実現しようとしてきたのか、自ら、改めて問い直さなければならない。
出典(明治書院)新釈漢文大系4『孟子』内野熊一郎著 407頁
告子章句上
孟子曰、仁之勝不仁也、猶水勝火。今之爲仁者、猶以一杯水、救一車薪之火也。不熄、則謂之水不勝火。此又與於不仁之甚者也。亦終必亡而已矣。 孟子曰く、仁の不仁に勝つは、猶(なほ)水の火に勝つがごとし。今の仁を爲す者は、猶一杯の水を以て一車薪(いっしゃしん)の火を救ふがごときなり。熄(や)まずんば、則ち之を水は火に勝たずと謂う。此れ又、不仁に與(くみ)するの甚(はなはだ)しき者なり。亦(また)終(つひ)に必ず亡せんのみ、と )