配慮の弊害

かなり昔に、ある大企業で講演をした時の話である。

聴衆は150人ばかりであった。講演が終わり、

「何かご質問、ご意見はありますか?」

と声を掛けた。

正直、質問が出るなどとは思っていない。2~30人であればともかく、100人を超えた講演で、質問など、出たためしがない。

ところが、である。質問者がいたのである。それも、次々に、3人ほどが手を挙げた。

質問内容は覚えていないが、かなり好意的な、質問というよりも賛辞に近い内容であった。

「凄いな。大人数の中で声を挙げるのは勇気のいることなのに・・・。この会社は積極的な人が多いんだな」

と、私は素直に感心した。

ところがところが、である。

後から分かったことであるが、質問者はあらかじめ設定してあったのである。講演してくれた方に対して質問が出ないのは失礼だろうという配慮からである。

この後、色々なところで話を聞いてみると、こういった配慮をする企業は多いということを知った。「気配りのすすめ」という本が流行ったことがあったが、こういった人に対する配慮は、いかにも日本人らしい優雅な伝統であろう。

しかし、意地悪に考えると、出来レースであり、サクラである。一時、話題になったタウンミーティングを思い出す。

先ほどの講演を行った企業とは違うある大企業で聞いた話である。

かつてその会社に中興の祖と呼ばれる実力者の会長がいた。その人がアメリカに出向いた時である。降りる空港の出口は駐車禁止であった。となると、会長を出口で待たせることになりかねない。そこでどうしたかというと、リムジンを4台用意して走り回らせ、会長が出口にあらわれた時には、すぐに停車できるようにしたということである。

そこまでするのかと思ったが、それが配慮であり礼儀だということだろう。当たり前のことをしていても、感謝はされない。

明治時代、伊藤博文の側近が勝海舟のところに来て悪口を言ったという話がある。

悪口を聞いた海舟が、その悪口を伊藤本人の前で言えるかと問うと、当然、「とても言えない」と彼らは応えた。それを聞いた海舟は、もともと伊藤博文は聡明な人だ。しかし、周りの人間が君たちみたいに批判せず、良い事ばかり言っていたら、誰だって馬鹿になると諭したという。

海舟の言ったことは正論であるが、実際は勇気のいることである。

私たちは、上司に対して、例えその内容が正しいことであっても、「こんなこと言ったら嫌がるだろうな」と思うことはなかなか言えない。評価を下げられたり左遷させられたりしたら、たまったものではない。やはり、利己の心理が働く訳である。

それでは、自分に対して影響力を持たない人間に対して言えるかといえば、やはり言えないのである。ここにも、嫌われたくないという利己の心理があるかもしれないが、どちらかといえば、人に対する配慮であろう。

先ほどの講演の例でも、私に対して配慮をしても、特に得ることはない筈である。私が喜ぶことが、担当者の喜びかもしれないが、そこまで意識的に判断しているとは思えない。

要は、習慣である。もしくは、協力し助け合うことが何よりも大事であった農耕民族の血なのかもしれない。

しかし、適度とか、ほどほど、ということも大事だろう。

特に、上司に対する配慮は、行き過ぎると上司を駄目にしてしまう。

子供を甘やかしては駄目だとか、部下を甘やかしては駄目だとか言うが、同じように、上司も甘やかしすぎては駄目だろう。 上司が駄目になって一番困るのは部下達である。 recate