郷挙里選

いよいよ明日は、衆院選挙である。

ブログの中でも、どの党にすべきかと、様々な意見が飛び交っている。

私は、これまでも述べてきたが、小選挙区による二大政党制が、そもそも間違っていると、考えている。

前回の郵政選挙を見てもそうだが、このやり方は、かたや大勝、かたや大敗という形になりやすい。

そもそも、政権交代のしやすさを追求したのが、小選挙区であり二大政党だからである。

しかし、政権政党が交代しやすいからといって、それが優れた政治のやり方というものでは、ないだろう。

それどころか、日本においては悪影響しかなかった。

政治家が異常なほどに、選挙にこだわるようになったのである。

その結果が、今回のマニフェストであり、党の顔である党首である。

ただただ、選挙民に媚びようとしている。

何でこんなことになったかといえば、民主主義のご本家である、アメリカやイギリスを真似たかったからであろう。

しかし、国民の声を政治に反映させることが民主主義の本質であるとするなら、米英仏は、別に民主主義のご本家ではない。

米英仏は、民主主義というよりも、民主主義革命のご本家である。

(だから、二大政党で戦い、勝った負けたをやりたいのであろう)

政治家を選ぶ手段として、有名な制度は科挙である。

科挙は、隋の時代から始まる。日本でいえば、聖徳太子の時代である。

この古代に、試験で政治家を選ぼうとしたのだから、凄い話である。

(パラダイムの違いから、科学技術という点では西洋が優っていたが、政治であるとかリーダーシップ、マネジメントなど人間に関する部分では、東洋の方が優れた知恵を蓄えてきていると、思う)

それでは、隋の以前はどうであったかというと、前漢から後漢にかけては「郷挙里選」という方法をとっていた。

郷里という言葉と選挙という言葉が混じっている。

つまり、それぞれの地元において、素晴らしいと思われる人材を選び、推挙するのである。

地元世論によって、政治家は選出されたということであり、まさに民主主義の本質である。

もちろん、紀元前の話であるから、奴隷などの意見が取り上げられることは無かった。

世論を形成するのは、自作農などの知識人階級である。

また、今述べたのはあくまでも制度の理念の話であって、実際は賄賂であるとか、有力な富農の子弟が選ばれる例が多かったのは、確かである。

(これは今の日本も似たようなものかもしれない)

しかし、貧農の出であっても、勉学に励み徳行を積んで、高位高官に登った人間も、少なからずいたのである。

よく古代ギリシアのアテナイが民主制の発祥のようにいわれる。

しかし、当時のアテナイは、たかだか人口数十万の一都市であり、前漢とは規模が違う。

また、アテナイの民主制も、奴隷を、その対象とはしていない。

しかも、アテナイの人口の三分の一は奴隷だったと言われている。

国家というレベルで言えば、前漢こそが民主制の発祥といっても過言ではない。

この、実に先進的であった「郷挙里選」の制度も、時の経過と共に、その機能を果たせなくなってきた。

何が起きたかといえば、世襲である。

政治家になった者は、その特権を利用して、一族に利得をもたらすようになり、その家は益々富み栄え、郷里における権力を握るようになった。

世論は、富と力の前にひれ伏し、高位を世襲した豪族や貴族階級が政治を独占するようになった。

中国古代の民主主義は、世襲によって滅んでいったのである。

これを何とか改善しようと、後漢の後の三国の魏では、郷挙里選をリニューアルした九品官人法という制度を導入した。

この九品官人法は、魏晋南北朝を通じて行なわれたが、かえって、貴族層の固定化を生んでしまったという。

結果、隋の時代になって、科挙が始まる訳である。

改めて、今回の選挙に話にもどろう。

(ついでながら言うと、選挙という言葉は、そもそも「郷挙里選」から出来た言葉である)

私は、郷挙里選の理念に戻り、党ではなく人物で投票しようと考えている。

もちろん、候補者それぞれを良く知っている訳ではないが、それを言えば、各党の実態だって良く分かっている訳ではない。

ただ、よほどのことがない限り、自民党に投票することはない。

理由は一つである。

世襲議員が多いからである。

民主党は安全保障に不安があるとの声を聞く。

しかし、歴史を見たとき、国が滅ぶのは自らが滅ぶのである。

外敵や他国から謀略によって滅ぼされたように見えても、実は、その前に自壊しており、外敵という要因は、最後に背中を押されたようなものである。

それでは、国が自壊していく大きな原因は何かと言えば、過度な、富と権力の一部への集中である。

そして、その典型が世襲なのである。

以前にも書いたように、今や、日本は貴族政の国家になりつつある。 これ以上に、世襲を許し、世襲を蔓延させることは、民主主義を滅ぼし、国を滅ぼすことにつながると、私は危惧している。