期待される人材像

多くの上司は、素直な部下を求める。

要は、自分の言うとおりに動く部下を欲しがるということである。

そんないい加減なと思う人もいるかもしれないが、現実はそうである。

それに、その上司本人は、これを悪いこととは思っていない。

ある一部上場企業の役員にM氏という人がいた。

彼は、自分なりの信念・定見を持っており、相手が社長であろうと、反対すべきだと考えた時には、きちんと反対した。

流石に、社長も持て余したのであろう。

M氏は、子会社の社長へと貶遷された。

何年か経った後、M氏とそりが合わなかった社長は交代し、M氏は本社へと呼び戻された。

M氏の実力を認めていた人間は多く、子会社への貶遷を哀れと思い、今一度、本社で力を発揮して貰いたいという声が、新社長を動かしたのである。

本社に戻り専務となったM氏がまず手を付けたのは、人事であった。

M氏に言わせると、昇格や異動があまりにも恣意的に行なわれていたというのである。

これを改革するため、昇格や重要な役職の就任については、M氏自身が面接委員長を務めることになった。

透明性公平性を重んじて、本当に力ある人物を抜擢するというのが、その趣旨である。

しかし、形はともかくも、その中身は、露骨なほどの情実人事と、周囲には映った。

つまり、M氏に忠実な人間だけが出世するようになったのである。

ただ、これはあくまでも周囲からの見方であり、M氏自身は、情実人事などとは全く考えていない。

彼は、自分の信念・政策が正しいと自信をもっており、当然、自分に従う人間は正しく、そうでない人間は間違っていると思っていたからである。

正しい人間を登用し、間違った人間を排斥する、これこそが正しい人事であると、確信を抱いていた。

上司が素直な部下を求めるように、部下は立派な上司を求める。

「立派」というのはあやふやな概念なので、その中身を考えたい。

例えば、あなたの上司が、

・将来ビジョンをきちんと持ち

・判断力があって是々非々を明確にし

・仕事に対しては正しい評価を行い

・人間的にも優しい人柄

だったとする。

これくらい揃えば、立派といって良いだろう。

しかし、その上司の将来ビジョンはあなたのビジョンとは食い違い、あなたの意見を是々非々で、明確に間違いだと断定し、あなたの仕事ぶりを大したことはないと正しく評価して賞与を少なくし、他の人間には優しいがあなたには冷たく接したとする。

これでも、あなたはその上司を立派な上司と思うだろうか。

上司が、自分の考えを正しいと信じて、自分に従う部下を良い部下だと思うと同じように、実は、部下も自分を正しいと信じており、自分を支持し高く評価してくれる上司を良い上司だと思うのである。

(要は、上司部下お互いに、自分にとって都合が良い人間が、良い部下であり良い上司なのである)

ただ、上司の立場からすれば、部下は様々であり、全ての部下から立派であるとか正しいであるとか思ってもらうことは、無理である。

正しさとは絶対の概念ではなく相対だからである。人の数だけ正しさはある。

それを誤解して、全ての部下から立派と思われるようになることを求めるのは、理想を追求しているのでなく、手に入れても食べることの出来ない、絵に描いた餅を追求しているに過ぎない。

それどころか、誰から見ても立派な上司になろうと思えば、八方美人になるしかなく、八方美人は最終的には誰からも支持されなくなる。

そもそも、

「誰からも愛される人は、深くは愛されない」(スタンダール『恋愛論』

のである。

さらに、組織におけるリーダーは、政治家とは違って投票で選ばれるのではない。 部下からの支持を得ようととか、部下から立派に思われようといったことを考えるよりも、威厳を以って粛々と仕事を進めていくこと、これこそが、本当に大事なことではないだろうか。