品性

以前、ある会社から営業所単位での組織活性化を頼まれたことがあった。

都心のはずれにある営業所の一つに行って、まず、営業所長と話をした。

押し出しも良く、マーケティングセンスはあるし、営業所のビジョンといったことも、熱っぽく語ってくれた。

しかし、この営業所は業績不振のワーストスリーに入る営業所であった。

どこに、どういった問題があるのだろうか。

私は、管理職以外の全員を集めてもらい、意見を聞こうとしたが、全員は難しいとのことで、まず、営業職だけに集まってもらった。

管理職を除いた二十代三十代の男女を前に、この営業所を良くするための協力を依頼した。業績が上がり、従業員一人ひとりが活き活き働ける職場にしたい旨を話した。

そして、どんなことでもいいから、現状、職場を見て気付いていることを教えて欲しいと述べた。

しかし、返ってきたのは沈黙であった。

初対面の私に対する警戒心だろうか?

忙しい最中、急に集められたことに対する不満なのだろうか?

仕方なく、質問を少し具体的にしてみた。

しかし、やはり、返答はない。ただ、何人かがお互いに目配せをしているのが気になった。

そうこうしている内に、一人が手を挙げてこう言った。

「どんなことでもいいですよね?」

「いいですよ」

「こんなこと言っていいのかどうか、悩んだんですけど・・・・。やはり黙ってられないので言います」

「・・・・どうぞ」

「うちの所長は最低です。とてもあの人の下で働く気にはなれません」

「エッ、それはどういうことですか?」

「少し前の話なんですが、所長の誘いで営業何人かで飲みに行ったことがあるんです。その時、所長が

『今日は割勘でいいかな』

と言うんで、何だ奢ってくれないのかとは思いましたが、しょうがないかなということで全員で割勘にして、その日は終わりました。

・・・ところがです。それから何日かして、その割勘にした筈の領収書が経理に回ってきたんですよ。どう思いますか?」

「うぅん。本当だったら酷い話だが・・・」

「本当ですよ。経理担当の女性から聞いたんですから。割勘にしておいて、知らないうちに領収書を貰って、その金を会社に請求して自分のものにする、泥棒じゃないですか」

これは大変な話が出てきたなと、私が何も言えずにいると、堰を切ったように他のメンバーからも声が上がってきた。

「今の話だけじゃありません。私たちには経費削減、経費削減と言いながら、雨の日にはタクシーで会社に来て、それも請求してます」

「飲んだ次の日には、『立ち寄り』とか言って、昼過ぎにならないと出てきません。私たちには、飲んだ次の日には這ってでも出て来いと言ってる癖に・・・・」

別の人間が、この話を受けてこう言った。

「所長がなかなか出てこない日、私たちは言ってるんですよ。きっと所長は這って来てるんだ。だらか遅いんだと」

その日、始めて、笑いが起こった。

後日、私は本社にこの話をして、事実かどうかの裏を取ってもらった。

そして、悲しいかな事実であった。

この所長が即刻異動になったことは云うまでもない。

ドラッカーは、こう述べている。

品性は習得できない。仕事に就いたときにもっていなければ、そのあとで身につけることはできない。

品性はごまかしがきかない。一緒に働けば、とくに部下には数週間でわかる。

部下たちは、無能、無知、頼りなさ、不作法など、ほとんどのことは許す。

しかし、品性の欠如だけは許さない。

人間には欲がある。

おいしいものを食べたい、いい洋服を着たい、いい車に乗りたい、広い家に住みたい・・・。この欲を否定することはできない。欲こそが人を動かすエネルギーになる。

この欲を肯定したからこそ、資本主義・自由主義は発展し共産主義は衰退したのである。

組織に属し、一生懸命働くのも欲である。

新人や若手と言われる間は、自分の欲だけを考えていればいい。しかし、出世し地位が向上していくと、それだけではすまされない。

周りのことも考えなければならなくなる。

自分だけの欲を小欲、周りのことを考える欲を大欲とするならば、リーダーには大欲が必要である。

これは、小欲を捨て去れと言っているのではない。

そこまで求めるのは無理がある。組織は普通の人を前提に構築すべきであり、特別な人を当てにすることはできない。

大欲だけの人をリーダーにしようと思えば、候補者は皆無に近くなるだろう。

しかし、小欲だけの人を管理者にしてはならない。この、小欲だけの人のことを「品性に欠けた人」と云うのである。

部下たちにとって、自分の上司が人間として軽蔑すべき人物であるということほど、耐えられないものはない。

その人に従わざるを得ない自分たちを惨めに感じるからである。

また、ドラッカーも述べているように、部下は簡単に上司を見抜く。

ある人にこう教わったことがある。

「トップはスカートを穿いているようなものだ。自分では気付かなくても、下から見たら丸見えだ」 自戒すべき言葉であろう。