君主は怖れられてもよいが、憎まれてはいけない

『君主論』のマキアヴェッリの言葉である。

さっと読めば、なるほどうまいこと言うな、というだけのことだが、よくよく考えると、難しい。

怖れられることと憎まれることは、紙一重の差である。

では、この違いは何だろう。

マキアヴェッリは、その例として、人民は父親を殺されたことは忘れても、財産を奪われたことは忘れないと述べている。

しかし、私としては納得し難い。

父親を殺されても憎む場合はあると思うし、財産を奪われても憎まない場合があるのではないか。

要は、君主の個人的判断で行なったことなのか、それとも認められたルールで行なったことなのか、この違いであろう。

この違いによって、同じ行為であっても、憎まれる場合もあれば、怖れられる場合もあるのではないだろうか。

例え、絶対的権力を持った君主であっても、自分の個人的な利害や愛憎で勝手なことをしてはならない。

それは、人民からの憎しみをもたらす所業である。

これは、現代の組織におけるリーダーも、同じである。

例え、社長であっても勝手なことはしてはならないのである。

勝手に罰を与えてもならないし、勝手に恩恵を与えてもならないのである。

罰を与えれば、与えられた相手からの憎しみをかうし、恩恵を与えたならば、恩恵を与えられなかった者からの憎しみをかう。

しかし、組織のリーダーは、怖れられることが必要である。

怖れられるとは、言葉を変えれば、威厳が必要だということである。

社長であろうが、役員、部長、課長、組織のリーダーは、部下からなめられたらおしまいである。

中には、なめられたらいけないということで、さかんに威張る人もいる。

しかし、いくら威張ったからといって、威厳が保てるものではない。

単に威張るのではなく、自分自身のパワーを見せつけようとする人間もいる。

しかし、こういったタイプは、先ほど述べたような、個人的判断で、部下を脅したり恩恵を与えたりといった行動を取りやすい。

「俺は力がある。俺の言うことをきいていれば得するぞ。俺に歯向かえば損するぞ」

といった風である。

そして、結局のところは、憎まれて終わるのである。

しかし、威厳を保とうと思うだけでも、立派なリーダーかもしれない。

どこでどうなったのか分からないが、最近では、威厳がなく友達のようなリーダー、仲間の一人であるようなリーダーが流行っている。

これは、組織の中だけではなく、家庭も同じである。

友達のような父親が流行っている。

しかし、これで良いのであろうか。

友達のような上司、友達のような父親であれば、上司のから指示命令、父親からの言い付けを聞くか聞かないかは、部下や子どもの自由意志で決まってしまう。

自分にとって都合がよければ聞くだろうし、嫌なことは聞かないであろう。それで、本当に上司としての責任、親としての責任を果たせるのであろうか。

秦の始皇帝が死に、中国全土が乱れた頃の話である。

彭越(ほうえつ)という人物がいた。

追いはぎなどをやっていた盗賊であったという。

追いはぎ仲間の若者たちが、国の乱れに乗じて一旗挙げようということになり、年も上ということで、彭越に頭になってくれるように申し込んだという。

彭越は断ったが、若者たちはあきらめない。

そこで、しぶしぶ引き受け、「分かった。それでは明日の夜明けに集まってくれ。期限に遅れた者は斬る」と約束した。

ところが、次の朝、多くの若者たちが期限に遅れてやってきた。

彭越は、

「私は君たちの要請で頭となった。そして、夜明けに集まることを約束した。ところが、この約束が守らない者が多い。全部を斬る訳にもいかないから、一番遅かった者を斬る」

と述べた。

若者たちは、冗談だと思ったのであろう。

笑いながら、そこまでしなくてもと口々に言ったが、彭越は、有無を言わさず、一番遅れたものを斬り捨て、祭壇に犠牲として捧げた。

若者たちは恐れ入り、顔を上げて見ることすら出来なかったという。

それまでは、仲間内の、一人の年配者にすぎなかった彭越に、リーダーとしての威厳が生じ、リーダーシップが確立した瞬間である。

小泉元首相が自民党総裁に選ばれ、ほとんど子分も持たない中で、何故、あれだけのリーダーシップを奮うことが出来たのか、私は、彭越の事例こそが、その答ではないかと思う。

この、彭越の事例以上に人口に膾炙しているのが、『孫子の兵法』で有名な孫武と呉王闔廬(こうりょ)が始めて会った時の話である。

余談だが、この呉王闔廬は越王勾践(こうせん)との戦いに敗れて死去する。

その後、闔廬の子である夫差は、父の恨みを忘れずに勾践を打ち破る。

打ち破られた勾践は、その恨みを忘れずに、最終的に夫差を死に追いやるのであるが、この夫差と勾践の、互いの復讐を遂げようとしての苦労から、臥薪嘗胆(がしんしょうたん:堅い薪の上に寝て、苦い肝をなめる)という言葉が生まれた。

話を戻すと、呉王闔廬は『孫子の兵法』を読んで、孫武に興味を感じたが、信用はしていなかった。

そこで、始めた会った時、孫武が実際にどれだけの力量を備えているかを知るために、意地悪な課題を、彼に与えた。

それは、後宮の女官を兵に見立てて運用して欲しいということであった。

孫武は承諾し、闔廬の二人のお気に入りの女性を隊長にして、二つの部隊を編成させた。

そして、彼女たちに、

「みなさんは、自分の胸、背中、左右の手は分かりますか?」

と問うと、全員が分かりますと答えた。

ただ、真剣に取り組んでいる訳ではなく、遊び半分であった。

孫武は、

「それでは、私が前へと号令をかけたら胸に方に進み、後ろへと号令をかけたら背中の方へ、左と言ったら左手の方、右と言ったら右手の方へ向くのです。いま、あなたたちは軍の兵士です。軍には軍律というルールがあります。もし、私の号令に従わなかったならば、それは軍律違反ですから、斧で首を切られます」

と、何度も何度も説明した。

そして、号令をかけた。しかし、誰も孫武の言うことなど本気にはしていない。

女官たちは、ふざけ合っているばかりであった。

孫武は、

「命令が行なわれないのは、きちんと指示していない自分の責任だ」

と述べて、自らを鞭打った。

そして、改めて女官たちに何度も説明を加えて、その後、号令をかけたが、やはり、彼女たちは従おうとしない。

そこで、孫武は、

「命令がはっきりしているのに、兵が従わないのは将である自分の責任ではない。二人の隊長の責任である。軍律に従って斬れ」

と、命令を下し、実際に斬ろうとした。

それを見ていた闔廬は驚き、「もう分かった。その二人は許してやってくれ」と述べたが、

孫武は、一旦、将軍を拝命した以上、命令に従わない部下を処罰するのは自分の権限であるとして、闔廬のお気に入り二人を斬罪に処した。

そして、改めて女官たちに号令を下すと、今度は粛然として従ったという。

これこそが将、つまりはリーダーの威厳というものであろう。

マキアヴェッリの言葉に戻れば、リーダーは憎まれてはならないが、怖れられること、威厳を持つことは必要でなのである。

そして、このことは可能にする手段は、決めたことを守らせるということである。 それがリーダーシップであり、このリーダーシップが、また、決めたことは守るという、強くて立派な組織を作り上げるのである。 307493