『韓非子』人には逆鱗あり

有名な「逆鱗」という言葉の元になった話である。

昔、彌子瑕(びしか)という小姓がおり、衞の君主の寵愛をうけていた。

衞の国の法律では、君主の車を勝手に使えば、刑罰として足を切られることになっていた。

ある夜、彌子瑕の母親が病気で倒れたことが知らされた。

彼は母の下に急ぐために、係りの者を騙して君主の車を使った。

このことを聞いた衞の君主は、彌子瑕をとがめるどころか、足切りにされる危険を冒すほどに親孝行であると、称賛した。

ある日、彌子瑕は君主と果園に行った。

桃を食べると甘いので、全てを食べずに半分を残し、君主に渡した。

君主は、彌子瑕は私のことを本当に愛していると称えた。

全部食べたいはずなのに、自分に半分を渡したのだからと。

年月が過ぎ、彌子瑕の容色は衰え、君主の寵愛も失われた。

君主は、彌子瑕のことをとがめ、かつて嘘をついて車を使い、また、君主に対して食い残しの桃を渡したとして、罪を問うた。

彌子瑕は、かつて素晴らしいと称賛された行いで、今度は罪を得たのである。

これは、君主の愛が無くなったからであり、彌子瑕の側の問題ではない。

君主が、こちらを気に入っている時は、何も言っても聞いて貰えるし、提案すればするほど、お互いの関係は良い方向へと進む。

しかし、気に入られていない時には、何を言っても相手にされないし、提案すればするほど、疎んじられてしまう。

誰かに企画提案を行う際には、相手の気持ちを察することが、大事なのである。

龍という生き物は、怒っていないときには、馬のように乗ることもできる。

しかし、喉の下一尺に逆さになった鱗がある。

もし、この鱗に触れば、必ずその人を殺す。

人にも、逆鱗がある。

人に企画提案する時には、この逆鱗に触れて怒らせるようなことが無いようにしなければならない。

出典 (明治書院)新釈漢文大系11 『韓非子 下』竹内照夫著 152頁

説難(ぜいなん)第十二

昔者彌子瑕有寵於衞君。衞國之法、竊駕君車者罪刖。彌子瑕母病、人閒往夜告彌子。彌子矯駕君車以出。君聞而賢之、曰、孝哉、爲母之故、忘其刖罪。異日與君遊於果園、食桃而甘、不盡、以其半啗君。君曰、愛我哉、忘其口味、以啗寡人。及彌子色衰愛弛、得罪於君。君曰、是固嘗矯駕吾車、又嘗啗我以餘桃。故彌子之行、未變於初也、而以前之所以見賢、而後獲罪者、愛憎之變也。故有愛於主、則智當而加親、有憎於主、則智不當、見罪而加疏。故諫説談論之士、不可不察愛憎之主、而後説焉。夫龍之爲蟲也、柔可狎而騎也、然其喉下有逆鱗徑尺、若人有嬰之者、則必殺人。人主亦有逆鱗。説者能無嬰人主之逆鱗、則幾矣。

昔者(むかし)、彌子瑕(びしか、人名、衞君の男色の相手)、衞君に寵(ちょう)有り。

衞國の法、竊(ひそか)に君車(くんしゃ)に駕せし者は罪として刖(げつ)せらる。

彌子瑕の母、病(へい)なり、人、閒(ひそか)に往き、夜、彌子に告ぐ。彌子、矯(いつは)りて君車に駕して以て出づ。

君、聞きて之を賢とし、曰く、孝なるかな、母の爲の故に其の刖罪なるを忘る、と。

異日、君と果園に遊び、桃を食ふに甘し、盡さずして、其の半ばを以て君に啗(くら)はす。君曰く、我を愛するかな、其の口味(こうみ)を忘(ぼう)じて、以て寡人(かじん)に啗はす、と。

彌子、色衰(おとろ)へ愛弛(ゆる)むに及び、罪を君に得。

君曰く、是れ固より嘗て矯(つは)りて吾が車に駕し、又、嘗て我に啗はすに餘桃(よたう)を以てす、と。

故に彌子の行は、未だ初に變(かは)らずして、而(しか)も前の賢とせらるる所以(ゆゑん)を以てして、後に罪を獲し者は、愛憎の變(へん)なり。

故に主に愛有るときは、則ち智(ち)當(あた)りて親を加へ、主に憎(ぞう)有るときは、則ち智當らず、罪されて疏(そ)を加ふ。

故に諫説談論(かんせつだんろん)の士は、愛憎の主を察して、而(しか)る後にかざる可(べ)からず。

夫(か)の龍の蟲(むし)爲(た)る、柔なるときは狎れて騎(の)る可(べ)きなり、然(しか)れども、其の喉下(こうか)に逆鱗徑尺(けいしゃく)なる有り、若(も)し人、之に嬰(ふ)るる者有らば、則ち必ず人を殺さむ。

人主、亦(また)逆鱗有り。説者(せっしゃ)能く人主の逆鱗に嬰(ふ)るること無くば、則ち幾(ちか)からむ。