『韓非子』アメとムチ

アメとムチは、言葉として美しくない。

その意味で、嫌う人も多い。

しかし、唯一絶対ではないにしても、人を動かす上において有効な手段である。

それでは、アメとムチ、どちらの方がより有効なのか。

昨今は、叱ることよりも誉めることを重要だとする風潮が強い。

これからすると、ムチよりもアメということなのだろうか。

『韓非子』や『淮南子』に載っている、有名な話がある。

子罕(しかん)という人が、宋の宰相であった。

彼が、宋の君主に言うには、

「国家の安危、国民の治乱は、賞罰にかかっています。そして、賞されることは、民が好むことであり、罰せられることは、民が怨むことです」、と。

もっともな話である。

そして、彼は、民が喜ぶ「賞」の部分は君主が行ない、民が怨む「罰」に部分は、自分が引き受けますと、君主に進言した。

君主は、自分が怨まれない訳であるから、喜んで子罕の進言通りにした。

ところが、「罰」を行なう権限を子罕が持っていることが分かると、「大臣は之に親しみ、百姓は之を畏れる」という風になったという。

そして一年も経たない内に、子罕は、君主を退けて、宋の国の実権を完全に握った、という。

この逸話からすると、アメよりもムチの方が効果はありそうである。

もちろん、相手により場合により、アメとムチの効果は様々である。

一概に、決めようとは思っていない。

ただ、最近は、ムチを使うこと自体に批判があるようなので、一石投じてみたかっただけである。

ここまで書いて、ふと、昔に教わったことを思い出した。

それは、「得の心理」「損の心理」というものである。

営業上の一つのテクニックである。

営業をする時に、「・・・すれば得をしますよ」という勧め方が、「得の心理」に着目した方法である。

「・・・・していないから損をしていますよ」という勧め方が、「損の心理」に訴えるやり方である。

たとえば、「この車を買うと、行動範囲も広がり、家族旅行も出来、買い物にも便利で・・・」が「得の心理」である。

「損の心理」では、「今、車がないから行きたい所にもすぐ行けないし、家族旅行するにも大変だし、買い物するにもバスに乗らなければならなくて・・・・」、という風になる。

この二つの方法、どちらが有効かということだが、成熟化した社会、大概のものに満足している社会においては、「損の心理」を使った方が、効果は高いとされている。

話は、アメとムチに戻る。

今の若者にはハングリー精神が乏しい、などとよく言われる。

つまり、大概のものに満足している訳である。

その彼らに、こうすればよくなるよと、つまりは「得の心理」やアメをぶら下げても、効果は薄いのかもしれない。

テレビのバラエティ番組などでは、罰ゲームといったものに、タレント達が、嬉々として取組んでいる。

ああいった姿を視ると、あまり重くならない範囲での罰というものを考えることは、有益ではないだろうか。

前述したように、最近は誉めることこそが大事だと、よく言われる。

しかし、私は思う。

「可愛くば 一つ叱って 三つ誉め 五つ教えて 良き人にせよ」

という言葉があるが、 「三つ叱って 三つ誉め」でも、場合によっては「三つ叱って 一つ誉め」でも、良いのではないだろうか、と