『論語』役に立つとか立たぬとか

マネジメントの目的は目標の達成である。

しかし、その手段に正解は無いとされている。

つまり、こうすればうまく目標が達成できるといった方法はない、ということである。

これは、多分、人生でも同じであろう。

私たちは、つい、

どうすれば人に好かれるだろうか?

どうすれば豊かになれるだろうか?

どうすれば仕事で成功できるだろうか?

といった問いを投げかけるが、それに対する答えはないのである。

『論語』には、

「死生、命あり。富貴、天にあり」

とある。

人が生きるも死ぬも、富み栄えるのも貧窮に苦しむのも、それは天命であって人力ではどうしようもないことなのである。

それでは、私たちはどう生きるべきなのか?

人生における目標、マネジメントにおける目標は棄て去るべきなのか?

決して、そうではないだろう。

目標を棄て去ってしまえば、生きるエネルギーも無くなってしまう。

目標を達成しようとする意欲は大事である。

ただ、その際に考えなければならないのは、どうすればうまくいくのかではなく、何が正しいか、何が善いことなのか、ということではないか。

そしてこれが、カントの言う善意志ということなのではないだろうか。

「善い意志は、それが引き起こしたり成し遂げたりするものによって善いのでもなければ、あらかじめ設定した何らかの目的を達成するのに役立つから善いのでもない。善い意志は、ただ意欲するだけで善い。すなわち、それ自体で善いのである。

・・・・・・・・・

善い意志はそれだけで宝石のように、自分の価値全部を自分のうちに保つものとして光り輝くであろう。役に立つとか立たないとかは、善い意志の価値を増減させたりできない。そういったことは言ってみれば宝石を載せる台座みたいなもので、日常の取引を便利にしたり素人の目を引き付けたりはするが、だからといって玄人が宝石を買ってくれるわけではないし、宝石の価値が決まるのでもない」

(岩波書店)カント全集7『人倫の形而上学の基礎づけ』14頁

出典 (明治書院)新釈漢文大系1『論語』吉田賢抗著 263頁

顔淵第十二

子夏曰、商聞之矣、死生有命、富貴在天。君子敬而無失、與人恭而有禮、・・・ 子夏曰く、商之を聞く、死生命有り、富貴天に在り。君子は敬して失ふこと無く、人と恭しくして禮あらば・・・。 ffff