『論語』信無くば立たず

全ての生き物は、コストと収益のバランスの上に成り立っている。

コスト以上の収益が得られなければ、生き物は死滅するしかない。企業でいえば、潰れるしかない。

このコストと収益を組み合わせることによって、三つの方策が考えられる。

一つは、どれだけコストをかけてもよいから、収益を最大にしていこうという方策、つまり収益最大化策である。

二つ目は、コストあたりの収益を最大にしようとする方策である。つまり、生産性最大化策である。

最後は、収益は小さくてもよいから、コストを最小にしようという方策、つまりコスト最小化策である。中南米に住むナマケモノが、この典型であろう。

人以外の動物が取る方策は、二番目もしくは三番目であり、収益最大化策を取るケースはないらしい。

人間の場合は、一番目もしくは二番目を選択することが多いようである。

例えば、日本を例に考えると、高度成長期は収益最大化策であった。

どんどんと投資(コスト)を行い、売上げの増大を図っていった。当時、利益率といった指標はほとんど考慮されなかったのである。

その後、紆余曲折はあったが、バブルの終焉と共に、この方策はその使命を終えたといえよう。

(もちろん、一つの企業単位で考えた場合は、この方策を取っている場合はまだまだある)

そして現在、多くの企業で取られているのは、二番目の策であろう。

バブル以降、コストパフォーマンスの重要性などと言われだしたのは、簡単に言えば、コストをかけても儲からなくなったというだけのことである。

コストをかけても儲からないのだから、各企業は一斉にコスト削減に走ることになった。そして、コスト削減に成功した企業は、確かに利益を生み出すことができた。

この流れからすると、将来的にはコスト最小化策もありうるのかもしれない。

しかし、そもそも企業というものは収益を向上させようという意図から創るものであり、コスト最小化策は企業の生理とは矛盾するようにも感じられる。

ただ、これは私自身が一つのパラダイムに捕らわれているからであり、ひょっとしたら、このコスト最小化策こそが今後の企業像になるかもしれない。

少なくとも、個々の人のレベルでは着実にコスト最小化策は進行している。

スローライフやエコ、少し前になるが清貧などといった考え方は、コスト最小化策に根差していると思われる。

ところで、企業はもちろん人の集団であるが、集団を作る生き物は人間だけではない。

例えば、アフリカの草原で草食獣たちは集団(=群れ)を作って生活している。

(以前、少し勉強した動物行動学によると)

彼らが何故群れを作るかといえば、一匹だけだと肉食獣に対しての警戒に時間を割くこと、つまりコストが発生し、その分だけ草を食べる時間、収益が減少するからである。

ところが、例えば10匹の群れを作ると、一匹が警戒してくれている間に、他の九匹は草を食べたり休息したりすることが可能になる。

この理屈からすると群れは大きければ大きいほど良いことになる。

しかし、群れが巨大化すると別のコストが発生する。

それは、仲間同士の小競り合いといった対動物(対人)関係の軋轢が発生したり、肉食獣を警戒するといった役割を果たさない不届き者が出てきたりするということである。

結局、こういった群れの中でのコストと収益のバランスと、草原の大きさ(マーケットの大きさ)によって、最適な群れの大きさが決定されるという。

そしてこの最適な群れの大きさを決定する際の判断基準は、群れに属する各個体が得る収益が最大になるかどうかだと言われている。

この草食獣たちの判断基準は、組織を考える際、極めて示唆に富んでいるのではないだろうか。

かつて、というか今も、人間が作る組織の良否は組織としての収益の最大化であり、組織の構成員個々が得る収益の最大化ではない。

もちろん、組織というものは草食獣の群れや単なる人間の集団ではない。組織は一種の有機体、つまりは生き物であり、組織自体としての収益を追求しなければならない。

しかし、ここ10年、企業が行なってきたリストラや人件費の圧縮という、組織の構成員個々の収益を最小化することによって、組織としての収益を増大させるという方策は、素朴に考えて、やはりおかしいのではないだろうか。

今の若者たちと話をしてみると、彼らはそもそも企業を信用していないなと、感じることがある。

考えてみれば、今の若者たちは、自分の親もしくは同級生の親たちがリストラにあった世代である。都合が悪くなると企業は何でもやるということを、実体験しているのである。

「無信不立(信無くば立たず)」という。 

孔子の弟子の子貢(しこう)が、孔子に政治とは何かを問うた時、孔子は、食と兵と信の三つだと答えた。兵とは、安全保障ということであろう。

続けて子貢(しこう)が、三つのうち、どうしても諦めなければならないとすれば何かと問うと、孔子は兵であると答えた。さらに、残り二つの食と信から諦めなければならないものはと問うと、それは食であると答え、民からの信頼がなければ政治は何もなしえないと述べたのである。

企業は一時の業績を手に入れるために、最も大事なもの —- 今の社員と、これから社員になるであろう人たちからの信頼を失ったのかもしれない。

もし、そうであるとするならば、組織の構成員の収益を最大化していくことも組織の重要な目的であることを改めて再確認し、それに則った企業運営に取組むべきであろう。

当然のことながら、信頼を回復するためには時間がかかる。出来るだけ早く始めた企業が、10年後20年後の優良企業となるであろう。

出典 (明治書院)新釈漢文大系1 『論語』吉田賢抗著 265頁

顔淵第十二

子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立。

子貢、政を問ふ。

子曰く、食を足らし、兵を足らし、民、之を信にすると。

子貢、曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於て何をか先にせんと。

曰く、兵を去らんと。

子貢、曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於て何をか先にせんと。 曰く、食を去らん。古(いにしへ)より皆死あり。民信無くば立たずと。