『論語』「啓発」という言葉の由来

「情熱を持って自ら学ぼうとしない者は、進歩しない。悩み苦しまなければ、発展はない。

一例を挙げたならば、後の三つは自ら意見を返すようでなければ、教えても仕方がない」

啓発という言葉の元になった、孔子の言葉である。

啓発を広辞苑でひくと、「知識をひらきおこし理解を深めること」と書かれているが、孔子の言ったことは、単なる啓発ではなく、自己啓発もしくは自発性ということになる。

よく、自発性を育てる教育といったりするが、育てられる自発性というのは、言葉として矛盾しているような気がする。

孔子は、自発性の無い者を教育することは出来ないと、言っているのである。

もちろん、孔子の人柄からして見捨てるということではなく、だからこそ発奮しろということだろう。

出典 (明治書院)新釈漢文大系1『論語』 吉田賢抗著 156頁

述而第七

子曰、不憤不啓。不悱不發。擧一隅不以三隅反、則不復也。 子曰く、憤せざれば啓せず。悱(ひ)せざれば發せず。一隅を擧(あ)げて三隅を以て反(かへ)らざれば、則ち復(ふたたび)せざるなり。