『荘子』目的と手段

殷(商)を倒して天下を統一した武王の曽祖父である古公(大王)父(たんぽ)の有名な話である。

『史記』などにもあるが、今回は、『荘子』から紹介したい。

大王父が邠(ひん)という地にいた時、異民族である狄人が攻めてきた。

戦いを避けようとして、大王父は皮帛や犬馬や珠玉を差し出したが、狄人は受け取らなかった。

彼らは、領土を求めていたのである。

そこで、大王父は、民に向かって言った。

「領土を守るために、私の仲間の弟や子供を戦わせて殺してしまうことは、忍び難いことである。お前たちはこの場所にいなさい。私の臣下であろうと狄人の臣下であろうと、何の違いがあるだろうか」

そして続けて、

「私は、こう聞いている。人を養うための物(土地)のために、養われる人をそこなってはいけない、と」

大王父は、狄人との戦を避けて、邠の地を去った。

しかし、人々は彼を慕って後に從い、改めて岐山(きざん)の地で国を建てた。

これが、周という国の始まりである。

この古公父の故事について、荘子が言っていることは、要約すると二つである。

一つは、命の大切ということであろう。

そして、二つ目は、目的と手段を間違えるなということである。

つまり、土地が無ければ人は生きていけないが、土地を守るために命を棄てるということは、目的と手段を間違えているのではないか、ということである。

荘子の主張に全面的に賛成する気にはなれないが、いつまでたっても終わらない人類の戦争を思うと、考えさせられる問題提起である。

出典 (明治書院)新釈漢文大系8 『荘子 下』市川安司、遠藤哲夫著 716頁

雑篇 讓王第二十八

大王父居邠。狄人攻之。事之以皮帛而不受、事之以犬馬而不受、事之以珠玉而不受。狄人之所求者土地也。大王父曰、與人之兄居而殺其弟、與人之父居而殺其子、吾不忍也。子皆勉居矣。爲吾臣與爲狄人臣、奚以異。且吾聞之、不以所用養害所養。因杖筴而去之。民相連而從之、遂成國於岐山之下。夫大王父可謂能尊生矣。能尊生者、雖貴富不以養傷身、雖貧賤不以利累形。今世之人、居高官尊爵者、皆重失之、見利輕亡其身。豈不惑哉。

大王父(たんぽ)邠(ひん)に居る。狄人、之を攻む。

之に事(つか)ふるに皮帛を以てすれども受けず、之に事ふるに犬馬を以てすれども受けず、之に事ふるに珠玉を以てすれども受けず。狄人の求むる所の者は土地なればなり。

大王父曰く、人の兄と與(とも)に居りて其の弟を殺し、人の父と與に居りて其の子を殺すは、吾、忍(しの)びざるなり。子、皆、勉めて居れ。吾が臣たると狄人の臣たると、奚(なに)を以て異ならん。且つ吾、之を聞く、用て養ふ所を以て養ふ所を害せず、と。

因(よ)りて筴(つえ)を杖(つ)きて之(これ)を去る。民、相連(あひれん)して之に從ひ、遂に國を岐山の下に成せり。

夫れ大王父は能く生を尊ぶと謂ふ可し。能く生を尊ぶ者は、貴富と雖も養を以て身を傷(やぶ)らず、貧賤と雖も利を以て形を累(わづら)はさず。 今、世の人、高官尊爵に居る者、皆、之(これ)に失うことを重(はば)かり、利を見ては輕(かろがろ)しく其の身を亡ふ。豈に惑はざらんや。