『淮南子』野良犬のいる國

人も、物事も、重要なのは大筋の部分できちんとしているかどうかだと、思う。

大筋のところを疎かにして、細かい部分をあげつらうのは偽善だと考えている。

最近の日本は、どうもこういった傾向が多いように感じられる、

ちょっとしたことで、すぐに文句を言う人が増えてきている。

僕は犬を飼ってはいないが、犬の飼い方一つとっても、放し飼いにするなとか、糞の始末をきちんとしろとか、今の日本では大変である。

人に迷惑をかけないためには、当然のことだと考えている人が多いのだろうが、僕は、別に道に犬の糞がいくつか落ちていたって良いじゃないかと、思う。

野良犬や野良猫の姿を見かけなくなって久しいが、野良犬野良猫がいないような社会は、そもそも人にとっても住みづらい社会ではないだろうか。

先日、NHKの「世界ふれあい街歩き」で、国王が来日されて評判になったブータンをやっていたが、そこかしこに野良犬の姿が映っていた。

牽強付会と受け取る人もいるだろうが、僕は結構真剣に、野良犬がいるということは、社会にとって大事だと考えている。

写真は、2年ほど前に訪れた「微笑みの国タイ」の風景。野良犬が当り前に人と共に生きていた。ついでに、可愛かった子供の写真も。

出典(明治書院)『淮南子 中』楠山春樹著732頁

巻十三 氾論訓

夫人之情、莫不有所短。誠其大略是也、雖有小過、不足以爲累。若其大略非也、雖有閭里之行、未足大擧。

夫(そ)れ人の情、短なる所有らざるは莫し。誠に其の大略是なれば、小過有りと雖も、以て累(わづら)ひと爲すには足らず。若し其の大略非なれば、閭里(りょり)の行有りと雖も、未だ大いに擧ぐるに足らじ。