『戦国策』親不孝な若者の話 

自分自身の、若くて生意気で、屁理屈ばかりこねていた頃を思い出して、赤面する話である。

三年間、勉強して帰ってきた若者が、母親のことを名前で呼ぶようになった。

母親がその無礼に驚いて、理由を尋ねると、

「私が一番の賢者だと考えているのは、古代の帝王である堯と舜です。その人たちのことすら、名前で呼びます。

私が一番に偉大だと考えているのは、天地です。天地ですら名前で呼びます。

お母さんがいくら賢くても、堯と舜ほどには賢くないでしょう。お母さんがいくら偉大でも、天地ほどには偉大ではないでしょう。だから、お母さんのことを名前で呼ぶのです」

と答えた。

それに対して母親は、

「学んだことを全てやろうと考えているなら、お願いだから、私のことを名前で呼ばない方法を考えおくれ。

学んだことをいっぺんに全てやろうとしないのであれば、お願いだから、私のことを名前で呼ぶのは後回しにしておくれ」

と、頼んだという。

子供に変に学問をさせると親を馬鹿にするようになると、昔、よく言われた。

まさに、その通りの話である。

場合によっては、親だけではなく、他者や社会をも小馬鹿にするようになる。

知識を増やし、技術を身につけ、能力を高めることは良いことである。

問題は、その目的がどこにあるかであろう。

出典 (明治書院)新釈漢文大系49『戦国策 下』 1040頁

秦敗魏於華魏王

宋人有學者。三年反而名其母。其母曰、子學三年、反而名我者、何也。其子曰、吾所賢者、無堯舜。堯舜名。吾所大者、無天地。天地名。今母賢不堯舜、母大不天地。是以名母也。其母曰、子之於學者、將盡行一レ之乎。願子之有以易一レ母也。子之於學也、將行也。願子之且以母爲後也。

宋人に學(まな)ぶ者あり。三年にして、反つて其の母を名いふ。

其の母、曰く、子、學ぶこと三年、反つて我を名いふは、何ぞや、と。

其の子、曰く、吾が賢とする所の者は、堯・舜(ぎょう、しゅん。古代の聖王)に過ぐる無し。堯・舜すら名いふ。

吾が大とする所の者は、天地より大なるは無し。天地すら名いふ。

今、母の賢は堯・舜に過ぎず、母の大は天地に過ぎず。

是を以て母を名いふなり、と。

其の母、曰く、子の學に於けるは、將(まさ)に盡(ことごと)く之を行はんとするか。

願わくは、子の以て母を名いふを易(か)ふる有らんことを。 子の學於けるや、將に行はざる所、有らんとするか。願はくは、子の且(しばら)く母を名いふを以て後と爲さんことを、と。