『戦国策』「仕方がない」ということ

物事には必ずそうなるということがあり、また、当然のことで仕方がないということがある。

かならずそうなるということは、死である。かならず、そうなる。

当然のことで仕方がないとは、どういうことか。

朝、市場に商品が出始めると、人は出来るだけ早く良い物を手に入れようと、我先にと押しかけ、市は混雑する。

夕方になり、商品がなくなると、誰もいなくなってしまう。

朝が好きで、夕方が嫌いだからではない。求めるものが無いからである。当然であり、仕方がないことである。

金持ちや地位が高い者には、人が集まってくる。

ところが、貧乏になり地位を失うと、人は去ってゆく。

その人が好きだから集まった訳ではなく、その人が嫌いだから去ってゆくのではない。

何か得るものがあるのか、無いのかということである。

仕方がないのである。

現役で働いている時期には、お中元やお歳暮が届き、年賀状も沢山来る。

引退すると、めっきりと減ってくる。

これは自分も他の人に対してやってきたことだろう。

人情の薄さを嘆いても、仕方がない。そこには、もともと人情があった訳ではない。

ただ、自分のこととなると、この当然で仕方がないということが、なかなか分からない。

自分のこととなると分からないということも、仕方がないことかもしれない。

そこで大事になるのは、それを教えてくれる他者の存在であろう。

そして、他者からの助言を聴く耳をきちんと持つということでる。

結局のところ、聴く耳を持つかどうかが、その人の賢不賢を決定する。

ところが、人は人の話を聴かないことが多い。

これもやはり、人としては当然で、仕方のないことなのだろうか。

出典 (明治書院)新釈漢文大系47『戦国策 上』林秀一著 466頁

齊巻第四 孟嘗君逐於齊

事有必至、理有固然。君知之乎。孟嘗君曰、不知。譚拾子曰、事之必至者、死也、理之固然者、富貴則就之、貧賤則去之。此事之必至、理之固然者。請以市喩。市朝則滿、夕則虡。非朝愛市而夕憎之。求存故往、亡故去。願君勿怨。

事に必ず至るもの有り、理に固(もと)より然(しか)るもの有り。君、之を知るか。孟嘗君(まうしょうくん)曰く、知らず、と。譚拾子(たんしふし)曰く、事の必ず至る者は、死なり、理の固(もと)より然(しか)る者は、富貴なれば則ち之に就き、貧賤なれば則ち之を去る。此れ事の必ず至り、理の固(もと)より然(しか)る者なり。請ふ市を以て喩(たと)へん。市、朝(あした)には則ち滿ち、夕(ゆふべ)には則ち虚し。朝に市を愛して夕に之を憎むに非ざるなり。求むるもの存するが故に往き、亡きが故に去るなり。願はくは君、怨む勿(なか)れ、と。

ほぼ同じ内容が『史記』では、以下のようになっている。

出典 (明治書院)新釈漢文大系89『史記 列伝二』水沢利忠著 8頁

孟嘗君列伝第十五

夫物有必至。事有固然。君知之乎。孟嘗君曰、愚不知所謂也。曰、生者必有死、物之必至也。富貴多士、貧賤寡友、事之固然也。君獨不見夫朝趣市者乎。平明側肩爭門而入。日暮之後過市朝者、悼臂而不顧。非好朝而惡暮。所期物亡其中。今君失位、賓客皆去。不足以怨士、而徒絶賓客之路。願君遇客如故。 夫れ物には必至(ひっし)有り。事には固然(こぜん)有り。君、之を知るか、と。孟嘗君(まうしょうくん)曰く、愚にして謂ふ所を知らざるなり、と。曰く、生者に必ず死有るは、物の必至なり。富貴なれば士多く、貧賤なれば友寡(すく)なきは、事の固然なり。君、獨り夫(か)の朝に市に趣(おもむ)く者を見ずや。平明(へいめい、夜明け、朝方)肩を側(そばだ)て門を爭ひて入る。日暮の後、市朝(しちょう)を過ぐる者は、臂(ひぢ)を悼(ふ)りて顧みず。朝(あした)を好みて暮れを惡(にく)むに非ず。期する所の物、その中に亡(な)ければなり。今、君位を失ひて、賓客、皆去る。以て士を怨んで、徒に賓客の路を絶つに足らず。願はくは君、客を遇すること故(もと)の如くせよ、と。