『孟子』酒井法子報道と高級官僚の辞任

酒井法子の記者会見のフラッシュには、驚いた。

政権交代よりも、こちらの方が社会的影響は大きいようである。

マスコミに携わっている人の中にも、いい加減、こんな報道は止めたいと思っている人もいるだろう。

こんなことを大袈裟に扱うのは、ジャーナリストとしての思想や信条からみて如何なものか、と考えている人もいるだろう。

では、何故、止めようとしないかといえば、仕事だからである。

仕事ということは、それで金を貰い生活をしているということである。

『孟子』の、ある逸話を紹介したい。

私が、始めて『孟子』を読んだ時に、もっとも衝撃を受け、印象に残っている話である。

斉の国にある男がいた。

朝、家を出て、夕方には、いつもご馳走をたらふく食べて帰ってきていた。

妻が、誰と食事したのかと聞くと、答える相手は全て世間で立派とされる人たちであった。

男には、妻のほかに妾がいたが、ある時、妻が妾にこう言った。

「うちの良人は、いつもご馳走を食べ、立派な人たちと交際していると言っているが、そのような人は誰一人として、わが宅に来たことは無い」

そして、日頃、何をしているのか確かめようと、密かに良人の後をつけてみた。

つけてみると、良人は町中を歩き回っているが、話をするような知り合いは、誰一人としていないようであった。

その内に、良人は町外れの弔い場へ向った。

そして、男は、葬儀を行なっている人たちに近づき、しきりに頭を下げた。

何をしているのだろうと、妻がよくよく視ると、男はお供え物をねだっているのである。

そして貰ったお供え物を食べ終わると、それだけは足らなかったのか、また、違う葬儀に向い、頭を下げてお供え物を貰うのである。

つまり、これが、良人がたらふくご馳走を食べる方法だった訳である。

妻は家に帰り、妾に良人の真実を述べた。

そして、尊敬し丁重にあつかうべき良人の浅ましい様子を思い浮かべて、二人で恥じ入り怨んで泣いた。

そこへ、何も知らない良人は意気揚々として帰宅し、いつものように二人に自慢話をした、という。

孟子は曰う、世間の人が富貴栄達を求めている姿は、この斉の男と何ら変わりはないではないか、と。

金銭は、生活の爲、家族を養う爲に重要かつ不可欠なものである。

それでは、誰かが「金をやるよ」と言って、目の前に金を放り投げたとする。

喜んで、その金を拾い上げる人間は、まずいないだろう、

多くは、「私を馬鹿にするな」と怒るであろう。

しかし、日常の中では、金のために誇りを捨て、恥を忍び、思想信条を枉げ、下げたくも無い頭を下げているのではないだろうか。

『孟子』のこの話を読んだ時、私の中では、葬式で食い物をねだる斉の男と、自分自身が確かに同じ姿に映った。

それから長い時間、私は『孟子』を読むことを止めてしまった。

このような本を読んでいると、まとも(?)な社会生活を送れなくなってしまう恐怖感があったからである。

話は変わるが、政権が変わり、各省の大臣も交代した。

辞任した事務次官や局長はいるのだろうか。

多くの高級官僚にとって、民主党の政策は、自分達が正しいとしてきた政策と真っ向対立する内容の筈である。

省庁が主張していた正しさは、大臣が変わったから変えましょうという程度のものだったのだろうか。

そうであったとするなら、あまりにも定見もなく理念もない、ということになる。

いや、自分の考えが間違っていたとは思わない。

しかし、大臣が変わったのだから、恥を忍び、自分の信念を枉げて新大臣に仕えるというのであれば、その理由は何なのか。

それが生活のためというのであれば、斉の男と同じである。

同じであっても、ごく一般の公務員は仕方ないと思う。

しかし、実質的に政府を運営していた高級官僚がそうであるとしたならば、どうであろう。

私たち国民は、斉の男の妻や妾にならい、恥じ入り怨んで泣くしかない、ということであろうか。 ont-family