『孔子家語』己を悪しくすることなかれ

史実としては疑わしいが、孔子は老子に師事したことになっている。

そして、孔子が老子の下を去る時の話が、『孔子家語』にある。

「富貴な者は財で、仁者は言葉で、人を見送る」

この言葉は、他でもよく出てくる。当時の慣用句なのであろう。

良い言葉である。

老子が孔子に言ったことは、突き詰めれば、一つである。

「他人を批判するな」

この老子の教えは、数十年前までは日本社会に残っていた。

僕も、子供の頃によく言われたものである。

「他人の悪口を言うな」、と。

他人の行動が良いか悪いかではない。

悪口を言うこと自体がいけないと、教えられた。

また、「告げ口」ということも、嫌われた行為であった。

同級生の悪事を先生に告げるということは、裏切であり、悪事をすること以上の悪事であった。

ところが今や、他人を批評・批判する人間が優れた人間のように扱われている。

自分の属している、もしくは属した組織や上司を批判することが、場合によっては正義の味方扱いされる場合もある。

公益通報者保護法などといった内部告発を促進しようとする法さえある。

悪事を行う企業が何よりも悪いことは当り前である。

しかし、内部告発つまりは「告げ口」によってそれを是正しようというのは、悪事を以て悪事に立ち向かおうとする行為である。

いくら相手が悪であっても、それは自分も悪を行うことの理由にはならない。

出典 (明治書院)新釈漢文大系53 『孔子家語』宇野精一著 144頁

観周第十一

老子送之曰、吾聞、富貴者送人以財、仁者送人以言。吾雖不能富貴、而竊仁者之號、請、送子以言乎。凡當今之士、聰明深察而近死者好譏議人者也。博辯閎達而危其身、好發人之惡者也。無以有己、爲人子者。無以惡己、爲人臣者。

老子、之を送りて曰く、吾、聞く、富貴なる者は人を送るに財を以てし、仁者は人を送るに言を以てすと。

吾、富貴なる能わずと雖も、仁者の號(がう)を竊(ぬす)んで、請ふ、子を送るに言を以てせんか。

凡そ當今の士、聰明深察にして死に近き者は好みて人を譏議(きぎ)する者なり。

博辯閎達(はくべんくわうたつ)にして其の身を危うくするは、好みて人の惡を發(あば)く者なり。 以て己を有すること無かれ、人の子爲(た)る者よ。以て己を惡しくすること無かれ、人の臣爲(た)る者よ。