『孔子家語』仁とは

仁者莫大乎愛人、智者莫大乎知賢、政者莫大乎官能(王言解 第三)

『仁』ということは何かといえば、人を愛すること以上に、大事なことはない。

儒学というのは、経世済民の学であり、世の中を良くしたいという思いが、その根本である。

世の中を良くするということは、人に幸せになって貰いたいということである。

人を愛する気持ちが根底なければ、どんなに優れていても駄目だということであろう。

会社が潰れたら、お客さまに迷惑をかける。

迷惑をかけないためにも、リストラをするという経営者がいるが、自分の身近な社員を愛することが出来ない人間が、本当にお客を愛することができるのであろうか。

愛しているのは、お客ではなく、お客が支払う金ではないだろうか。

『賢』ということは何かといえば、賢い人を知ること以上に、大事なことはない。

自分よりも賢い人間を知る人間こそが賢者であるという、一種逆説的な考え方である。

孔子が弟子の子貢に対し、真の賢者は、名宰相であった管仲や子産ではなく、管仲を推挙した鮑叔牙、子産を推挙した子皮である、と語った話は有名である。

確かに、人を自分よりも『賢』であると認めることは難しいことであろう。

古今亭志ん生の、

「他人の芸をみて、下手だと思ったら自分と同じくらい、同じくらいだと思ったらかなり上、うまいなと思ったらとてつもなく上にいる」

という言葉を思い出す。

『政』とは何かといえば、有能な人物に仕事を任せること以上に、大事なことはない。

『政』とは、マネジメントと訳してもいいだろう。

適材適所ということである。

また、有能な人材を見つけたり、自分よりも有能な人物に自分の地位を譲ったり、ということを考えれば、『賢』でなければ、『政』は行なえないということになる。 そして、また、そこまで出来るということは、『仁』ということなのだろう。 l