『国語』やはり戦争は起こるのだろう

僕が子供の頃、大人たちは皆、戦争を経験していた。
そういう大人たちから、戦争を賛美する話はほとんど聞いたことがなかった。天皇制についても、廃止すべきだという意見の方が多かった。

そんな中、誰から聞いたのか、何を読んだのかは忘れてしまったが、記憶に残っている言葉がある。
それは、
「後50年もしたら、日本はまた戦争をするだろう。戦争体験者がわずかになり、戦争を知らない政治家ばかりになれば、また戦争をするだろう」
という言葉である。

そしてまさに、僕が子供の頃からすると50年になって、本当に戦争が起こりそうな雰囲気が濃厚である。
人類の歴史は戦争の歴史である。
人という種は、どうも争うことをやめることは出来ないの種なんだろう。その意味で、日本が絶対に戦争をしてはいけないとまでは、僕は考えていない。

しかし、戦争は悪であるという認識は大事である。
最後の最後まで戦争は避けるという前提になって、それでも避けきれない時に、嫌々ながらも行うのが戦争であろう。


『国語』には、以下のように述べられている。
夫勇者逆德也、兵者凶器也、爭者事之末也。
陰謀逆德、好用凶器。

夫(そ)れ勇は逆德なり、兵は凶器なり、爭いは事の末なり。
(出典 新釈漢文大系『国語 下』809頁 越語下)

勇ましいということは德ではなく、軍隊は凶器であり、戦争は物事をなす際の最低の手段である。