『史記』企業は人なり

企業を変革しようとする場合、大きく分けると2つのアプローチがある。制度やルールを変えていこうというハードアプローチと、人に焦点を当て意識変革を起こそうとするソフトアプローチである。

いくら制度やルールを変えても、人の意識やそれまでの習慣が変わらなければ、企業は変革しない。同じように、いくら人の意識を変革しても、制度やルールが旧態然としたままでは、やはりうまくいかない。

理屈で考えれば、二つを同じにやればいいのであろうが、実際には簡単ではない。

30年近く企業のコンサルティングを行ってきたが、常に迷いは消えない。どちらから行うべきなのか?どちらを重視すべきなのか?

あくまでも現時点での結論としては、やはり人かなと思う。私の経験の範囲で言えば、一人の人間の影響力が企業を変革するといったケースを多く見たからである。

違う視点からいえば、人の世の中である限り、何よりも大事なことは人であり、どのような事柄も、まず人という観点から考えなければならないのではないか。

「企業は人なり」とはよく言われる言葉であるが、まさに至言であろう。人こそが宝である。

ある時、秀吉が家康に自分の所持する茶碗等の珍品を自慢したことがあった。そして、三河殿は?」と訊ねると、家康は答えて「私は特別な宝は一切ありません。ただ私のためならいつでも水火をいとわぬ家臣が五百騎ばかりいて、これが私の宝です。」と言ったという話がある。

家康は人を宝とし、その信念が天下を統一できたということであろう。ただ、話としては眉唾ではないかと、私は思っている。秀吉は人を大切にしたリーダーであったと私は思っている。後世、家康を神格化するために創られた逸話ではないだろうか。

なぜなら、似たような話が中国にある。

中国の戦国時代(2400年ほど昔)、魏の恵王と斉の威王が会見し、その時、恵王が威王に「宝を持っているでしょう?」と聞くと、威王は持っていないと答えた。

そこで、恵王は自慢して「私は馬車12乗を照らすことの出来る1寸(2.25cm)の珠(真珠)を持っています。どうして王ほどの方が宝を持っていないのでしょう」と言った。

これに対して威王は「私の宝はあなたのとは違う。」と答え、檀子、肦子、黔夫、種首という自らの家臣4人の名を挙げ、「私の宝はこの4人の臣であり、これらの宝は千里を照らします」と答えたというのである。

余談だが、この話は、最澄の『山家学生式』にある

「国宝何物 宝道心也 有道心人 名為国宝 故古人言 径寸十枚 非是国宝 照千一隅 此則国宝」

でも有名である。

昨今の日本企業を見ると、本当に人を大切にしているだろうか?人を宝として考えているだろうかという疑問を感じる。

リストラや労働分配率など、企業のために人を犠牲にすることは正しい戦略であるという風潮を感じる。致し方ないというのであればまだ理解できるが・・・・、どうもそうではなさそうである。

企業が社員を大切しなければ、社員も企業を大切にはしないであろう。

「家康の逸話」が正しいとするならば、家康は家臣を大切にしたのであろう。水火を厭わぬ部下が500人もいれば、確かに天下を獲れる。

家康の話と対をなす話が、清水次郎長にある。

明治維新後、ある新聞記者が、清水次郎長に「あなたほどの大親分になれば、あなたのために死ぬといった子分が数多くいるでしょう」と問うと、次郎長は「そんな子分は一人もいないと思います」と答え、続けて「しかし、わたしは子分のためにいつでも死ねます」と言ったという。

「企業は人なり」とは、通常、人の大事さを指す言葉である。であるならば、拡大解釈して、「企業は人のためにある」とまで言い切った方が良いのではないだろうか?

どんなに業績が挙がっていても、そこに働く人が不幸であれば、もしくは人を不幸にして業績を挙げているのであれば、それは良い企業とはいえないだろう。

出典 (明治書院)新釈漢文大系86 『史記 六 世家中』 吉田賢抗著 767頁

田敬仲完世家第十六

威王二十三年、與趙王會平陸。二十四年、與魏王會、田於郊。魏王問曰、王亦有寶乎。威王曰、無有。梁王曰、若寡人國小也、尚有徑寸之珠、照車前後各十二乘者十枚。奈何以萬乘之國而無寶。威王曰、寡人之所以爲寶與王異。吾臣有檀子者。使守南城。則楚人不敢爲寇東取。泗上十二諸侯皆來朝。吾臣有肦子者。使守高唐。則趙人不敢東漁於河。吾吏有黔夫者。使守徐州。則燕人祭北門、趙人祭西門、徙而從者七千餘家。吾臣有種首者。使備盗賊。則道不拾遺。將以照千里。豈特十二乘哉。梁惠王慙、不懌而去。

威王二十三年、趙王と平陸に會(くわい)す。二十四年、魏王と會し、郊に田(かり)す。

魏王問ひて曰く、王も亦寶有るか、と。

威王曰く、有る無し、と。

梁王(魏王のこと)曰く、寡人の國の若(ごと)きは小なれども、尚ほ徑寸(けいすん)の珠、車の前後を照らすこと各(おのおの)十二乘なる者十枚有り。奈何(いかん)ぞ以萬乘の國を以てして寶(たから)無からんや、と。

威王曰く、寡人の寶となす所以は王と異なり。吾が臣に檀子(たんし)なる者有り。南城を守らしむ。則ち楚人、敢て寇(あだ)を爲し東に取らず。泗上(しじやう)の十二諸侯皆來朝す。吾が臣に肦子(はんし)という者有り。高唐を守らしむ。則ち趙人、敢て東して河に漁せず。吾が吏に黔夫(けんぷ)という者有り。徐州を守らしむ。則ち燕人、北門に祭り、趙人、西門に祭り、徙(うつ)りて從う者、七千餘家有り。吾が臣に種首(しょうしゅ)という者有り。盗賊に備へしむ。則ち道、遺(お)ちたるを拾はず。將に以て千里を照らさんとす。豈(あ)に特(ただ)に十二乘のみならんや、と。梁の惠王慙ぢ、懌(よろこ)ばずして去る。