『列子』原因と結果の取り違え

私たちは、世の中を因果の関係で解釈している。

しかし、どちらが原因で、どちらが結果かということについては、間違いを犯すことも多い。

端的な例は、政治であろう。

政治家が悪いから国が良くならないとはいうが、選んでいるのは国民であるから、原因は国民にあって政治家ではない。

楚の国に、ヤクザと付き合っている男がいた。

周囲の人間は、やめるようにと忠告していたが、男は聴かなかった。

ある時、男の付き合っているヤクザたちが盗みを働いた。

県の役人は、男もその一味でないかと疑い、逮捕にやってきた。

男は逃げ出したが、役人に追いつかれ、あやうく捕えられそうになった。

そこへ、ヤクザ達がやってきて、身を挺して男を救った。

家に戻った男は、周囲の人間に言った。

「ヤクザと付き合うなと言うが、私が一番困った時に助けてくれたのは、彼らではないか」、と。

宋の国に、娘を嫁に出す父親がいた。

娘に、言った。

「この結婚が最後までうまくいくかどうかは分からない。離縁される時に備えて、こっそりと金を貯めておきなさい」

父親の言い付けを守り、娘は嫁ぎ先の家計から、こっそりと金をかすめては貯め込んでいた。

ある日、このことが発覚し、娘は離縁され、実家へと戻された。

父親は、自慢した。

「私の予想通りだ。もし、金を貯めてなければ、この後、娘は苦労しただろう」、と。

ビジネスの世界でも、部下を駄目な人間と決め付けてしまうリーダーがいる。

そして、駄目な人間に対するマネジメントを行なってしまう。

部下の話を聴かない。

横柄な口調で話す。

指導と称して粗探しをする。

仕事を任せない、等々である。

そして、部下が業績を挙げられないでいると、言うのである。

「やはり、こいつは駄目だ。こんな人間が部下だから、うちの部署もうまくいかないんだ」、と。 何が原因で、何が結果なのか、よくよく考えなければならないことは、多いのである。 0 TOC Heading;