馬鹿な犬でも尻尾をふれば可愛い

「俺は上司には随分、反抗したもんだ」

などと自慢する人は多いが、この反対に、

「俺は上司に忠実で、言われたことは何でもやった」

という人は少ない。

しかし、実際の行動を見ると、多くの人は上司に従順である。

上に楯突く人は、数少ない。

思うに、これらのことは、言い訳であろう。

出世した人は、上司に従順だったから出世したのではなく、能力があったから出世したと、言いたいのである。

そして、出世しなかった人は、能力が無かったから出世できなかったのではなく、上司に従順でなかったから出世できなかったと、言いたいのである。

前漢時代、文帝に仕えた臣下に鄧通(とうつう)という人がいた。

ちなみに、文帝は中国史上、最良の君主の一人である。

前漢の創始者である劉邦が徳川家康とするなら、文帝は八大将軍吉宗のような人だと言えよう。

鄧通は、舟を漕ぐ以外には何の取り柄もない人であった。

しかし、と言うべきか、だからこそと言うべきか、誠心誠意、文帝に仕えた。

ある時、文帝が皮膚に出来物を患った。

鄧通は、文帝のために、進んでその膿を啜ったという。

この後、文帝は皇太子を呼び、鄧通と同じことを求めた。

しかし、皇太子は、顔にありありと嫌悪の色を表したという。

親子であっても、出来物の膿を啜るのは抵抗がある。

他人に対して出来たのは、大仏殿の建立で有名な聖武天皇の后であった光明皇后くらいしか思い出せない。

例え能力がなくとも、鄧通くらいのことをやれば、出世もできて当たり前である。

そこまでやらなくても、「馬鹿な犬でも、尻尾をふれば可愛い」というのは、人情である。

そもそも、組織は上下の関係である。

全てのことに対して従うべきとは思わないが、上に対して忠実なことを恥ずかしいと考えるのは、止めた方が良いと思う。

能力があるにもかかわらず、上に対して忠実でなかったから出世できないと考えている人は、上に対して忠実に仕えるという能力に欠けていたと、考えるべきであろう。

もしくは、「自分には能力があるが、上に見る目がない」と考える傲慢さを、振返るべきである。

もし、本当に優れた力量を持っていたとしても、考えなければならないのは、

「賢い犬で尻尾を振らない犬ほど、可愛くない犬はいないだろう」 ということである。