終戦と敗戦

何時を終戦とするかについては、いくつか説があるようで、アメリカの日本占領が終わった1952年4月28日、もしくは沖縄占領が終わった1972年5月15日こそがふさわしいといわれている。

ちなみに8月15日は、昭和天皇のラジオ放送があった日で、ミズーリ号で正式に降伏文書に調印したのは、9月2日である。

8月15日は、正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」というらしい。

一般的には終戦記念日である。

記念日というからには、「敗戦」という言葉はふさわしくないだろう。

しかし、実際には、敗戦である。

敗戦を終戦と言い換える姿勢には、かつて旧軍が、実際には退却にもかかわらず、「転進」と言葉を言い換えたような、ごまかしや取り繕いを感じてしまう。

ただ、8月15日は、日本国民が軍部に支配されていた日々からの解放であり、その安堵感が、戦争に負けたという感覚よりも、ようやく戦争が終わったという実感に結びついたのだ、という考えもある。

確かに、一理あるかもしれない。

しかし、軍部の独走を許したということも含めて、私たちは歴史を振返り、反省すべきことは反省しなければならない。

この場合、「敗戦」といえば、そこからは反省も生まれるが、「終戦」といってしまうと、まるで他人事のようである。

「今日は戦争に負けた日なんだ」と思うのと、「今日は戦争が終わった日なんだ」と思うのでは、随分違う筈である。 今日、8月15日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」で良いと思うが、降伏文書に調印した9月2日を敗戦の日として記憶に留め、終戦記念日という考え方は、意識して避けた方がいいのではないだろうか。